ブルベも始めました

2016年からブルベも始めました。

PBP2019: Carhaix-Plouguer - Brest - Quédillac

午前4時にお願いしたが30分ほど早く目覚める。ポーチ2つあることを確認して,仮眠所の建屋を出る。寒い。食堂の建物にはグラウンドへ登らなきゃならない。朝飯にもう一度ボロネーゼ,ヨーグルト,リンゴを食べる。メニューにバリエーションがないので,食にうるさいひとだとストレス感じるだろうな。朝4時なのにビール飲んでる者もいる。さすがにこの時間だと食堂も弛緩した雰囲気。

稼いだ貯金を1時間まで減らして再スタートするが,やはり1時間くらいならし運転しないと動かない。手足は寒いが耐えられないほどではない。真っ暗闇でセンターラインと前方にみえるテールライトだけが目印。脚が回り始めると問題なく前を追いかけていける。まだ痛いところもない。だんだんと朝靄に包まれてくる。下りで前方が見えずらくなってきた。etrex30xjの地図で先のコーナーを確認しながら下る。

サドルバッグがタイヤとこすれる音がしたので,いったん停止して締めなおしていると,ランドヌールがやってきて止まった。防寒装備を取り出そうとしているので,"どっから来た?私は日本から", "アイルランド", "アイルランドってフランスと同じくらいの寒さじゃないの?"と聞いたらちょっとキレ気味に"NO!!"と言われた。海流の影響でアイルランドはそれほど寒くないらしく,フランスのこの地域の寒さはきついらしい。3日目にアメリカ人も寒いとぼやいていたし,冬でも半そで半パンで寒さ強そうに見える彼らでもこの寒さは格別だったようだ。

ゆるい登りが続くが,脚は回っているのでまだまだ大丈夫そうだ。やっとテレビ塔が見えてきた。標高350mほどでPBPの最高地点とはいうが,ヒルクライムというよりも20kmほどの緩斜面を平坦と変わらないリズムで通過したという感じ。まだ暗い中キャンピングカーでPBP参加者を待ち受けているバカンス客たちが結構いる。さてどっちが物好きだろうか?

テレビ塔を通過して下りに入る。さすがに足と手が寒い。ところどころ登り返しが入ってダンシングを混ざるので,飽きることはない。またアップダウンが続くようになって,ちょっとした森を抜けると道が開けてあの橋(ブルガステル橋)に着いた。大西洋へ開いた湾なので,厳密には大西洋ではないんだけど,まぁほとんど大西洋を見た。

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 ここを過ぎたらすぐにBrestかと思ったらそんなことはなく,もう1本丘越えがあった。久しぶりの市街地走行は気をつかう。朝方とあって交通量多めで刺激が強すぎ。やっと係員の姿が見えた。PC6に到着。ついに片道終わった。朝飯と思ってレストランを探すが,見当たらない。係員に聞くと道路渡った向こう側にあった。無料のマッサージサービスもあるようだったが,施術のリクエストの仕方をフランス語というのはハードル高すぎるので,朝飯だけ。食べ終わって駐輪場に戻ろうとすると,車検日に出会った台湾のHanaさんがいた。応援で回っているとのことで,台湾のお菓子をもらう。「ランブイエで会いましょう」とあいさつして別れる。

ここから看板はParis行に変わる。貯金は2時間半くらいまで戻した。行きとは登り下りが逆になるが,傾斜はあまりかわらない。テレビ塔に向かって登る。スライドするBrest行き参加者が途切れない。もう昼前なのに,ありったけ着こんでいる者もいる。寒かったんだろうな。こちらが下りにかかると向こう側は登りだ。タイムアウトになりそうなのか必死で登ってくる者もいるが,フォームの崩れ具合が疲労の大きさをうかがわせる。

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ところどころ登り返しが挟まる下りの最中に,イギリス人に追いつく。"Mile","1000"と書いてあるジャージを着ているので,そのジャージについて聞いてみると,LELより過酷な1000kmブルべということだった。"LELより厳しいのか?", "そうだ。LELはPBPより丘が厳しく,風が強く,雨ばかりだ。そしてMILE〇〇1000は,それ以上だ。" "まじかよ。","お前さんに一つ教えてやろう。こういう地形(丘陵地帯のアップダウンが続く箇所)はhillyというのだ。LELはhilly, rainy, windyなのだ。LELはPBPと違って食事も全部エントリーフィーに含まれている。お前さんも来るといい。2021年の8月だ。私は1度目はDNFだったが2度目に完走した。……" 教え魔ぽいひとらしく。しゃべり続けている。登りは一緒に上って,下りは私が引っ張る。多少の登りで一緒になるとおしゃべりが続く。"お前さんはまだ若い。私は年取ってすっかり髪の毛がなくったよ。" "私はいま減り続けているので,そのうちあんたに追いつくよw” "それだけ黒黒してるんだからまだまだだよwwww" しばらく走ってちょっと歯ごたえのありそうな登りにさしかかると,イギリス人が背中をたたいて,"全力でいけよ"と。しゃーねーなーと全力ダンシング。うしろから声援が飛ぶ。頂上通過で下りに入って振り返ると,イギリス人がいない。最後のあれはなんだったんだよ。

悲しみ(?)に暮れる暇もなく集中して走ることができた。PC7のCarhaix-Plouguerに戻ってきた。172kmを10時間かかっているので,スピードが落ちてきている。貯金は3時間半。今日はあと150kmくらいは走っておきたい。まずは飯。あいかわらずボロネーゼといっても今回はショートパスタ。あとはリンゴとヨーグルトと代り映えしない。全PCでコーラ飲んでる。カロリーの半分くらいはコーラで補ってるんじゃないかな。

再スタート。さすがにスライドする参加者は見なくなった。練習中の地元のサイクリストとはすれ違う。もう変わり映えしない景色に飽き飽きしている。Ludeacまで5時間弱。走っているとGoProへに給電しつづけていたためかモバイルバッテリの残量がなくなってSGX-CA600への給電が途絶えた。もう2年ほど使い続けてきたバッテリなので,残量が少なくなっていたか。ログ取りと積算距離の確認はetrex30xjに任せたので,パワーを見ることができなくなった。もう全力出すことないから,パワーが見えなくても問題ないと割り切る。

イタリア人チームが追い抜いて行ったので,ぎりぎりコバンザメできていたが,町への傾斜が急になったところでぶっちぎられる。緩斜面ならなんとかいけるが,傾斜が急になるとついていけるだけのパワーがもう出ない。

もはやシークレットとはいえないシークレットPC Saint-Nicolas-du-Pélemに着いた。Brest方面とは分離運用なので,コーラ買いに行くのも係員に言わなきゃ通してくれなかった。イタリア人チームのついて行った反動で食欲がわかないので,コーラだけ。

あと2時間強で飯食ってシャワーが待ってる。牛糞のにおいがLudeacが近づいたことを示している。昨日よりも路上に散らばっている牛糞が多い。ほんと晴れててよかったと思う。時間帯のせいか昨日より観客が減ったLudeacに戻ってきた。Controlのあと食事。トマトがあったので,ハムの皿を取った。野菜はほかに人参千切りとかビーツとかあったが,味がよくわからないので取らなかった。向かいの席でレインウェアまで全部着込んでうつろな目をして,食事しているインドの女性がいた。"寒いんですか?" "そう。○○○(よく分からない)" "残念したね。2023年にお会いしましょう。" インドには0度用のジャケットなんて売ってないし,PBPだけのためのウェアになるのでそれを割り切れるか。あとはWiggleやBike24にインドから注文できるのだろうか。

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今回は手際よくチェーンに注油して,電池とバッテリ交換して,替えの衣類とシャワーセット用意してシャワーに行く。昨日よりもさらにお湯がぬるく感じる。オロナインとProtectJ1塗っていたが,うっすら擦れて切れている。シャワーから出ると寒い。さっさと着替えて,今度は"4年後に"とあいさつしたかったが,うまいフランス語が見つからなかった。しょうがないので"Au revoir."。まだ貯金が4時間くらい残っている。これなら次で5時間くらい寝られる。

再スタートするとそこそこの集団ができている。後ろでコバンザメしていると,横にいるひとが日本人だった。東京のひとということでブルべ事情がまったくかみ合わないw。私からするとフランスの路面はいいけど,東京のひとからみるとそれほどでもない。走力のあるひとのようで集団活性化しませんかとか言われるが,私にとっては活性化するほどでもないそこそこいいペース。今後の予定を話していて,次のQuédillacがちょうど真夜中くらいなのでそこで4時間くらい寝ていきましょうという話でまとまる。あとは町中の幅員減少やバンプ中央分離帯に気を付けながら走るだけ。もう日も暮れて周りは闇。後方からのライトに照らされと前方のテールライトだけが見える。日本語で会話できるので3時間の道中も気が紛れてそう長く感じなかった。

Quédillacはレストランが仮設テントなので夜は寒い。昨日のガレットに,牛肉の煮込みを追加。牛肉の煮込みはここらへんの名物料理らしいが,日本人ならこれを見ると肉じゃがの味を予想するよね。これはこれで牛肉のうまさがでてるんだけど,やはり割下と醤油の味を予想しちゃう。おいしいんだけど肩透かしくらった料理。同行のひとはガレットにヌッテラ(チョコクリーム)を塗ったのを食べていた。まさにブルベやってる最中じゃないと食べられない禁断の品。ブルベ走る動機の一つは,日頃では食べてはいけない甘いものを喰いまくれるところ。仮眠所の手配は一緒に走った方がやってくれて一緒に朝4時起床ということで。ちょうど日付が変わる頃に二日目は終わった。

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