BRM921神戸600km日本海・瀬戸内海
出走日時が選べるようになって,天気予報で降水確率が下がっていくのを見て20日午前0時スタートにした。21時間で400km走れば鳥取市なので,当日ホテルのキャンセルがあれば寝るし,空きがなければ相生まで走って未明にチェックインすればいいかという予定。
前日入りして,夕食取って午後11時まで寝る。起きて準備して,一旦チェックアウト。余分な荷物はフロント預け。一度HATなぎさ公園によったが誰もいない。午前0時を回ってコンビニでレシートを受け取りスタート。
客待ちタクシーが1車線ふさいでいる山手幹線を抜けるといきなりの再度公園への登り。50分くらいかかってフォト・コントロール1再度公園入口。一旦下るがまた登って神戸市から三田市を抜けてJR古市駅でのフォト・コントロール2。ツイートすると,ポガチャルがTTで逆転したと目に入った。振動吸収に優れているわけでも軽量でもなく,空洞実験やCFDでエアロダイナミクスに優れているわけでもないコルナゴのバイクで優勝する日が来るとは思わなかった。プロなともかく趣味でブルベやっている者にとっては,軽量や空力性能よりも安心して下りが走れるハンドリングと踏めば進むことが重要。あとはライトやetrexをマウントできるハンドルとステム,サドルバッグをつけるためのアルミシートポストのほうが大事だったりする。そういう点で最近のトレンドの専用ステム・ハンドル・シートポストはまるでブルベに向かないので,次の自転車どうしようか悩み中。
そんなことを考えながら,京都府との境界を越えてフォト・コントロール3のスプリング日吉。真っ暗闇のダム湖の傍を走っていると右側から3頭の鹿が前方をかすめて通り抜けていった。幸い加速して走っていってくれたので衝突は免れた。この後南丹市では「熊に注意」の看板。キューシートでは佐用町の近辺が鹿に注意とあったが,京都でも油断ならない。福井への境界となるトンネルを抜けて,PC1のファミマに到着。手持ちの補給食(スポーツようかん4本,スローバークッキー2本)を食べつくして,なんとか間に合った。朝食のパスタとプロテインに補給用の1本満足バーを3本。
コースプロフィールでは,日本海側は峠はないんだが,せいぜい100m程度の登りが何度も続く。シッティングで駆け抜けられるほど緩くないしダンシングで登り切れる程短くもないと非常にいやらしい登り。京都府に戻って宮津市街を抜け,天橋立の手前くらいで大渋滞。しょうがないので,降りて歩行者にジョブチェンジ。天橋立はレンタサイクルと歩行者がまじりあっているカオス状態。GW中のしまなみ海道も似たようなものだがこちらのほうが道幅が広い分気楽ではある。しかし自分の場違い感がしんどい。周りを見回す余裕もなく,いったいどこが日本三景の一つなのだろうかとよくわからないまま走り抜け,伊根の舟屋に向かう。ここも道が混み始める。天橋立ほどではないが,観光バスも交じって駐車場の出入口が混んでいる。フォト・コントロール4が具体的に何を指しているのかいまいちわからなかったが,それらしい看板を撮ったので大丈夫だろう。次のフォト・コントロール5までは17kmしかないのだが,アップダウンの繰り返しと海岸線の片側一車線にシルバーウィークの交通量が加わって予想以上に時間がかかった。
まだまだ終わらないアップダウンの下りの途中振り返ったところに経ケ岬灯台の看板があった。事前にストリートビューで予習しておいてよかった。昼になったので飯食いたいのだが,なかなかコンビニがない。さらに30kmほど走ってやっとローソンが見えた。飯食っていると,「どっから来た」とおっさんに聞かれた。「神戸から,舞鶴経由で。この後鳥取に抜けてから相生に行って神戸に帰ります」というと「何泊するの」と聞くので「1泊ですよ」というと「車でも大変なのに,気ぃつけてな」と半ばあきれ気味だった。
まだまだ続くアップダウン。兵庫県に入って,城崎温泉の看板が見えた。やっと半分走った。橋を渡って城崎温泉への右折だが,途切れない車列にうんざりする。温泉街はさらに温泉客でごった返していた。ここでDNFして特急に乗れば神戸にすぐに戻れるなとはちょっと考えたが,歩行者にジョブチェンジ。歩いて温泉街を通り抜ける。
また人里離れてアップダウンが続く。ぽつぽつと雨が降り始めた。西の方の空が灰色になっている。突然雨が激しくなった。気温が高いのでそのまま走る。さすがにブレーキが1回転分効きが遅くなるが,それほどタイトなコーナーがあるわけではないので,落ち着いて下れば問題ない。登りのときにちょっとだけ涼しくなったと思い込んで走る。やっと香美町の看板が見えた。あまり路面が濡れてない。ひょっとして大雨のど真ん中に突っ込んでしまったのかと自分の運のなさを嘆いて,やっとPC2に到着。鳥取市のホテルを検索すると空きがあったので予約。これで今日はあと50km走れば寝られる。
ちょっと安心していたが,相変わらず繰り返されるアップダウンに吐き気すらしてきた。まだ兵庫県の中にいる。鳥取県との境界がいつになるのか不安になるくらい。やっと鳥取県に入ったが,今度は鳥取市までが遠い。岩美町広すぎないか。やっと抜けて鳥取砂丘に着いた。さすがに夜だと寂しい。自動販売機に挟まれたわかりやすい「鳥取大砂丘」。放っておくと緑化されてしまうので,メンテナンスがかかせないと緑化事業が進まない砂漠地帯からするとうらやむような日本の環境。市街地の外周を通って千代大橋を渡って鳥取駅南口に出て鳥取にできたスターバックスに来たが,ここから駅前のホテルへの道が分かりにくい。さらに南から周りこむように走って今日のホテルに到着。輪行袋に詰め込んでチェックイン。ウェアをハンガーに干して,ライトとスマホの充電して,シャワーを浴びて寝る。PC3に午前12時には着くように逆算して4時間は寝られる。
スマホのアラームで起こされた。つらい。もっと寝ていたい。二度寝してDNFしたいと思ったが,あと200kmだし,日本海側のアップダウンはもう終わったんだと言い聞かせて出発を決める。ジャージやレーパンは乾いているが,グラブとソックスは湿り気が残っている。輪行を解除して,駅前のローソンで夜食食って再スタート。ちょっと肌寒いがしばらくは平坦なので身体動かせば温まるだろう。まぁまぁ脚は回るが,尻の圧迫痛が出始めた。前走は履き古したレーパンで300kmほどで痛みが出ていたが,今回は去年買った新しいレーパンのおかげか身体がちょっと慣れたかここまでは問題なかったが,限界が来たようだ。智頭町のローソンで,あんパンをホットミルクで流し込みながら休憩。
県境に向かって緩く登り続けているが,このタイプの登りは力があるときにはそれほど嫌いじゃない。国道379号線への合流点でちょっと迷ったが,歩道への入り口を見つけてトンネルを抜けると,階段なので押し歩き。ここからは下りなので,ウィンドブレーカーを着て,ボーナススタージの開始。
あっという間に佐用町に入って,ベンチのあるファミマがイートインもやっていたので,ここでカフェイン解禁。コーヒーとプリンで休憩。傾斜は緩くなったが,まだまだボーナスステージは続く。上郡町を通過して相生市に入った。地蔵堂への登りがところどころ10%を超えるキツイ登り。そこそこのパワーは出るのだけど心拍数はまるであがらない。もう一度川べりに出てフォト・コントロール7の坂越公民館。湾沿いもアップダウンがあるが,時間に余裕があるので焦る必要は無い。道の駅みつに着いたら,朝なのに結構な観光客がいる。レストランはまだ開いていないので,写真だけとって姫路に向かう。10km以上走り続けて,やっと姫路城に向かって左折。さらに5km走って姫路城に着くと,やはり観光客でごった返していた。市街地を抜けて川を渡りPC3に到着。佐用町からのボーナスステージのおかげで,時間は余裕がある。
あと50kmでゴール。姫路行きは自動車多いが,神戸行きは空いている。キューシートにあるように,わりと時間が稼げる。それも神戸市西区までだった。須磨区に入ると片側一車線が混み合っている。道路工事で交互通行になっている箇所まであった。板宿にまで来た。あと少しと思ったら意外と遠い。西代,高速長田,大開と通ってやっとゴールのセブンイレブン。直射日光を受ける背中側,とくに黒いレーパンが暑い。ゴール祝いにチョコモナカ。あと300kmでSR。
BRM905倉敷400km
ブルベが再開されて,いきなり400km。3月に200km走ったきりで,その後は長くても半日100kmくらいしか乗ってない。輪行袋や交換用タイヤやチューブなどのブルべ装備一式が入ったサドルバッグやフードポーチが見つからず,まず家の中を探すところからが復帰の作業。ルートの確認やキューシートの印刷しているうちに,初ブルベ以上の緊張感。
スタート時刻が10分刻みで選べるので,9時スタートの最終組。私ともう一人しかいなかったようだ。3年目の倉敷スタートなので,三次まではおなじみのルートなのだが,去年までと違うのが暑さ。去年までは寒さとの戦いだったが,今年は暑さとの戦い。通過チェックに着く前に1本目のボトルが空になった。駅前ファミマに到着したら,まずはマスクを着けるのだが,一気に体温があがるのを感じる。ボトルに氷と麦茶を詰め込んで,ポカリ1本飲んでおく。府中市内を抜けて上下への登りは気温31度。汗が目に入って痛い。左の母指が痺れるを通り越して痛いし,右のふくらはぎがぴくつきだした。ペースを抑え気味に登って,2RUN舐めながら上下のセブンイレブンに到着。やっと先にスタートしたひとたちに追いつき始めた。氷と麦茶の補給と昼飯はインドカレーにヨーグルト。
三良坂へのちょっとした登りがきついし,本格的にふくらはぎが攣りそうになってきた。三良坂を越えて川沿いを走って,去年見落としたPC2のセブンイレブン。ルーティンの氷と麦茶に飲むヨーグルト。再スタートして,ドラッグストアコスモスがあったので,芍薬甘草湯を買っておく。県境に向かう登りで,右足のふくらはぎと太ももが攣った。芍薬甘草湯を飲んでストレッチをして,だましだまし走るが今度は左足も攣った。自動販売機が並んでいる店にたどり着いて,かろうじてクリートを外したが,その瞬間に両足が攣って激痛が走る。芍薬甘草湯を追加して,横になる。通りかかった軽四に乗ったおっちゃんから「大丈夫か?」と聞かれるので,「両足が攣っただけです」と答えて,行ってもらう。時間には余裕があるが,残り260km走れるのか。リタイヤするなら今なら下れば,夜には倉敷に戻れる。薬が効くまで,1時間くらい横になって様子見。その間にもちょっと足の角度を変えるだけで攣って,それをかばうと逆の足が攣ったりした。
落ち着いたので,とりあえずは松江まで下ろうと,走り始めると多少の筋肉痛はあるが,足が攣る気配はなくなった。雨が降り始めて,気温が下がってちょっと走りやすくなったと思ったら,雨脚が強くなってきた。下りだと雨粒が顔にあたって痛いくらい。北の方では稲光が見える。下りの途中にあるPC3に到着。もう氷はいらないので,麦茶だけ補給して,身体にかける用の真水のボトルは空にした。ちょっと早い夕飯にボロネーゼ。
下りきって雲南市の市街地を抜けて,宍道湖にたどり着く。しかし真っ暗闇で対岸の街の灯が見えるだけ。国道9号線の交通量は多く,雨の夜に走りたくはない。意外と遠かったPC4。松江市を抜けて中海が見えると,月が出ていた。オレンジ色のライトがついている江島大橋も見えてきた。ほぼフラットで交通量もほとんどなくTTモードで走って,一昨年の神戸600kmでも走った江島大橋をのろのろと昇って,鳥取県に入ってPC5。次のPC6が夜には閉まるというので閉店時間を確認したら23時で,もう間に合いそうにもなくちょっとがっかり。米子市内に入ると路面が乾いている。雨は非常に局所的だったのだろうか。駅前を通過して市街地の明かりから遠ざかって,南部町のPC6に到着したはずなのだが,いつもなら光り輝いているコンビニとは違って,スクリーンを下ろしているとコンビニとは気づきにくい。さらに進んだところにあるセブンイレブンで代わりのレシートを取りに行く。
固形物を取りたいとは思わなくて,プリンだけ食べて次のPC7に向かう。県境越えの登りで霧が出始める。登りは速度がでてないから問題ないが,下りだと左側は反射ポールがないと見えにくいし,センターラインもところどころかすれてる。もう一度登って岡山県に入る。あとは下りで新見市のPC7。あとは下り基調の70kmなので3時間くらい走ればゴール。脚はもちそう。下りがゆるくなった分,頑張ってペダルを回してPC8のポプラ。眠気覚ましのモンエナだけ飲んで,再スタート。看板の総社への距離が減っていくと交通量が多くなってきた。やっと倉敷の看板が見えて,山裾を抜けてゴール。両足が攣ったアクシデントもなんとか乗り越えたが,自転車から降りると両足筋肉痛と疲労でまともに立てない。なんとか倉敷駅に戻って輪行袋に収納して,台風が来る前に帰ることができた。
次は神戸600kmでN2BRM対応なので出走日時は天気次第。400km先の鳥取市内のホテルで仮眠をとるのが目標。
TSS700/週,CTL100
ブルベがしばらくないので,過去の走行記録を見直していたら,2015年と比べてFTPが2割弱下がっていることに気づいた。ブルベを始めた2016年と比べてブルベで遅くなってはないが,久万高原HCの記録は年々悪くなっているので,集中して追い込んで走ることがダメになっている。
年取って頭打ちどころか尻すぼみ状態をどこまで先延ばしにできるかが今後の課題というわけで,継続的にトレーニングを積んでみようとTrainingPeaksに半年課金した。パワートレーニングについて調べると,CTL100が一つの目安になっているので,CTL100を目指してTSS700/週×6週間続けることにした。TSSはFTPで1時間走ると100。CTLはTSS直近42日分の加重移動平均値。
近所の300mほどの丘を1本20分で登るとTSS40弱くらい。強度上げて18分で走るとTSS50弱くらいまであがる。丘を登って越えて登り返すと自宅までの往復合わせてTSS100。2本走るとTSS200弱。TSS200になると翌日脚が重くて強度があげられなくなるので,強度あげて毎日走ってTSSを稼ぐほうが時間効率はいい。
週12~15時間,走行距離250~300km,獲得標高4500~6000mを7週間+2日でやっとCTL100に到達した(BRM320四国200kmで稼いだCTLの残り8から始めているが)。月1000km走れという走行距離に基づく練習の目安は,意外なことにパワートレーニングと大差ない数字。7週間で2015年から失われた2割のうちの10%(つまり2W)は取り返した。これを年中続けていれば強くなるというのは体感できたが,自転車に生活のかなりの部分を捧げないときつい。練習は週2~3日くらいが趣味としての自転車の限界かな。ガチ勢の入り口を眺めてきたというところ。
写真のFITNESS=CTL,FATIGUE=ATL(TSSの7日間加重移動平均値),TSB=CTL-ATL(疲労の蓄積度合)
BRM322四国200km
PBPのあとは石鎚山ヒルクライム走っただけで,半年間実走しなかった。自覚はなかったがちょっとした燃え尽き症候群だったのだろうか。それでもフィットネスクラブで1時間エルゴバイクは乗っていたので,ペダルを回すことが嫌いなわけではない。
2日前に職場の同僚ととびしま海道を走って,ウェアや装備の確認をした。久しぶりだったがハンドルが遠く感じることがなく,膝や腰に痛みもない。あとは実際に半日自転車に乗り続けられるかどうか。
コースは3年前の200kmを基に後半が少し変えられている。宇和町から三瓶町を通らずに八幡浜市に直行して諏訪崎でのフォトチェックになった。
ブリーフィング開始5分前くらいにスタート地点に着くと,結構な数の参加者がいる。車検でベルなし出走不可をくらったひとがいた。ベルはキャットアイのライトブラケットを共用するOH-2400がおすすめ。
今日はFlecheの予行も兼ねてチームメンバーと一緒に走る。今年すでに3本ブルベ走って今日完走でSRになるメンバーのY夫妻にとって,本番の360kmを走ることは大したことではないはずなので,あとは私が二人の邪魔にならないような走り方が課題。初ブルベとなるKさんと4人のパックで走り始める。まずは砥部町との境になっている鵜の崎峠への登り。序盤は緩く後半8%超えてくる。自分ひとりなら全力だしてぼろぼろで峠越えるところ,パックなので一定ペースで淡々と登ってあっさりと下り。次は国道379号線3%程度の登りが8km。これも楽に越えて通過チェック1への下り。見通しのいい下りなのでいつもならアウタートップで加速するところ,のんびり下って通過チェック1の道の駅ひろたに到着。トイレ借りて写真とって,メンバーの補給待って再出発。次はこのコース最高地点の笹峰山。8%10kmの登りでただでさえキツイのにたまに来る自動車の追い越しに一次停止から再発進でさらにキツイ。右コーナー曲がれば頂上をetrex30xjで確認しながら,ここでもダンシング練習。頂上を越えて下りにはいる。2年前にパンクした場所を過ぎて,今日は大丈夫かと思ったところで前方からパンクの音。Kさんの前輪がサイドカット。サイドカットの箇所がすぐにわかったのでタイヤブートはりつけて,チューブ交換して再スタートして,通過チェック2の飛翔の像。参考Closeタイムと3分差なので,完走は問題ないだろう。さらに下って,鹿野川ダムからの登りに入る。ここを抜ければあとは下りと平坦。12時までにPC1に着こうと先頭を牽いてみるが,あえなく分解。ちょっとした登りで踏み込む癖が後ろと差をつけてしまう。抑えて走ってPC1のきなはい屋しろかわに到着。食堂で食券買ったけど回収されたので,出発する前に売店で地元産コーラ買って再スタート。残り100kmはちょっとした登りを挟みながらの平坦か下り(のはず)。
牽引車失格になったので,最後尾ベタづきで野村町に入る。野村町のローソンの前を通過して3年前の四国600kmの辛かった記憶がよみがえる。3年前ミスコースして復帰してからやけで飛ばしてたどり着いたローソン西予野村阿下店。多少の登りが挟まるが,基本的には八幡浜市に向かっているので下りが多い。宇和町と八幡浜市の境からは下りが続く。下り終わって海沿いに出ると今度は諏訪崎への登りになる。ダンシングで急傾斜をやり過ごしていく。諏訪崎に着くとママチャリに乗ったカップルがいた。そこに乱入する反射ベストを着たならず者たち。そのカップルはコンクリート路面の急斜面の下りもものともせずに走っていた。下って保内町に入った頃にKさんの前輪の空気が抜けてる,ファミマで休憩かねてチューブ交換して走るが,1km程度でまた空気が抜けた。異物が刺さっているようで,原因を探るくらいならと持っていたタイヤを渡して,タイヤとチューブまるごと交換してしまうほう手っ取り早い。持っていて良かった交換用タイヤ。2年前の四国600kmの教訓が生きた。
あとは夕焼け小焼けラインを走って三秋峠を越えてゴール。風も強くなく雨も降らず走りやすい環境だった。3年前はタイムオーバーで完走できなかったY夫妻は完走でき,Kさんはブルベ初完走,私はグループ走の良さが知れたと大成功のブルベだった。Kさんからタイヤの代金の話があったが,代金は要らないのでSRとってくださいとお願いしておいた。西条ー出雲往復しているひとなので,SRはそんなに難しいことではないと思う。
PBP走っての検証と実感他
私の基本的な走力は,ヒルクライムレースだと,1000m登るのに80分。平均登坂速度(VAM)750m/h,FTP210w,3.2w/kgの貧脚。300km/3000mUP,400km/4000mUPのブルべだとグロス20km/hで帰ってこれるくらい。登りは遅めで,平坦と下りで稼いで,PCは最小限のタイムロスで走ってる。
Stravaだと移動時間60時間,停止時間25時間半。睡眠時間のぞくとPCとWPで平均45分停止。往路はNP147Wで走ってる(復路はバッテリ切れで未測定)。WPとPCごとの締め切り時刻に対する余裕時間の推移が下のグラフ。初日QuédillacとPC4 LOUDEACとの間で1時間昼寝,PC5 CARHAIX-PLOUGUERで5時間寝てる。二日目はQuédillacで4時間,PC10 FOUGERES と PC11 VILLAINES-LA-JUHELの間で1時間昼寝。三日目はPC13 DREUXで1時間寝てる。今回はボリュームゾーンを避けて,たっぷり寝て走ることが目標だったが,それはうまくいった。
寝る時間稼ぐために走って寝て,また走って寝るを繰り返しているが,二日目はパンクもあったし,疲労のためかあまり時間が稼げていない。この区間は獲得標高も多め?
ブルべで完走のための本質は以下のツイート。
ブルベに観光を求めてはいけません。そこにあるのは距離=速さ×時間だけです。
— HORITOMO (@HORIGON69) September 6, 2018
速さ=ギア倍数×ケイデンスなので,ギアかけるか,ケイデンスあげるか,時間かけるかの3択問題。どれかをあげれば他が少なくてすむ。制限時間内で自転車こぐか飯食うか寝るかのどれか。寝不足は事故のもとだし,飯食わないとハンガーノックで終わる。自転車に乗っている時間とは,寝る時間と飯食う時間を稼ぎ出すための手段でしかない。
PBPのパンフレット見ると,2011の出走者の400と600の持ちタイムと完走時間・DNF・out of timeの割合が乗っている。
— katsunoriw (@kw324) January 19, 2019
400kmの完走時間が20H,600kmの完走時間が36Hを超えると,DNF+out of timeが20%を超える。 pic.twitter.com/GucRpE1zX5
国内のブルべを時間ギリギリでしか走れていないと,食事1回ごとに40-50分かかるPCで時間切れになる。PCは広いのでControlだけでもそこそこ時間食うし,町のパン屋だって日本のコンビニでのキャッシュレス決済と比べれば時間取られる。グロス20km/hで400km走れることが完走の条件。
https://t.co/rPRqXX8LyI
— 生郎ラーメン@BRM915神戸600GF (@KT500000) September 2, 2019
のサイトでPBPの通過時間確認できるけど、ブレスト40時間以内にリスタートしてる人はほぼ時間内完走、逆に42時間超えてる人は苦戦が見て取れるけど、43時間台で間に合ってる人もいるので後半次第
41時間台は後半次第で余裕になったりギリギリ隊になったり各人のドラマが
600km超で制限時間が緩むが,走る側も疲労で速度低下するので,後半巻き返すのも簡単ではない。前半メカトラなどの外部要因で遅れた人を除いて,残り600kmをグロス15km/hで走れる余力があるか。その余力のためには食事と睡眠が必要で,ギリギリ隊になると食事も睡眠も削られるのでますます走力が低下する悪循環。
ここからはPBPでの実感
PBPで一番大事なのは,復路のVILLAINES-LA-JUHELへ日中に到着すること。ここの盛り上がりがPBPのクライマックス。
平均斜度7%以上が5kmや10kmも続くようなロングヒルクライムはPBPにはでてこない。2%くらいの緩斜面が20kmくらい続くというのはあるが,6%超えるような坂は1-2分くらいで終わる。2分間頑張ればたいていの坂は越えられる。下りは逆で緩斜面なので,シフトアップして回し続けないと置いていかれる場合がある。
もちろんFTPは走力の基本だけど,2分間インターバル走でアップダウンの繰り返しに耐えられるようにしておく。自分で止まらない限り3時間でも4時間でも走り続けることが可能なので,日本だとサーキットでの4時間や8時間の耐久レースが一番似たような環境で走れる。
オフィシャルのGPSと実際の看板の方向が違っている場合がある。その場合は看板の指示に従うべき。GPSに従ったら工事中で通行止めだった。看板はあるのだが,それでも見落としの可能性があるし,前後にひとがいなくて単独走になることはあるので,GPSはあったほうがいい。
路面は四国の酷道や険道と比べるときれい。多少荒れたところはあるが23Cでも十分。ただし,町中は中央分離帯,バンプ,幅員減少,歩道との段差,路面陥没や亀裂,十字路,石畳と走りにくい要素が一挙に増えるので,町中は気をつかう。
シャワー室にコインロッカーなんてものはないので,貴重品はポリ袋につめて持ち込んだ。更衣室もないので,着替えするならシャワー室。駐輪場をはじめ屋外にはごみ箱・ごみ袋があって,しかも分別しないのでごみを捨てるのは非常に簡単。
PCにはコンセントがあって充電可能。利用者は少なかった。充電待ちの時間がかかるし,その場を離れると盗難の恐れがあるので,それほど使い勝手がいいわけではないが,次回は利用者増えるのかな。
仮眠室には当たり外れがあるようなので,ハズレでも寝られるようにレスキューシートと耳栓はもっておいたほうがいい。幸いうるさいところにはあたらなかったので,レスキューシートかぶれば寒さはしのげた。
PCで盗まれたという話は聞かないが,スタート地点のランブイエ駅やホテル近辺の駅で自転車盗まれたという話は聞いた。PBPの最中はいいんだけど,その前後が危険。
最後に,2011年,2015年の実走からの知見をブログやYoutubeに残してくれた先人たちのおかげで完走できました。特にばる(@barubaru24)さんの東京⇔大阪キャノンボール研究,yoshi(@gear_masher)さんのLate Night Monologueからは多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。
告知
今年10月11日にはAR四国で1000kmブルべがあります。石鎚山や剣山,四国カルストは通らないけど,700km過ぎた先にある佐田岬半島往復のアップダウンはPBPの気分が味わえるかも。
PBP2019:ゴール後
ゲート通過した後は,Paris-Brest-ParisのバナーのところでAR四国ジャージで記念撮影。今回の最重要ミッション完了。Controlで最後のスタンプを押してもらって,メダルを受け取った。食事券をもらって,まだ寒いテントのレストランへ。この食事が個人的には最大のハズレだった。カレーだと思ったら,カレーぽい何か。見た瞬間に脳がカレーだと認識しているので,それではない何かを食べるとがっかり感半端ない。
ちょっとうろうろしていると,後輩がゴールしてきた。1200kmで1時間半しか差が開いていない。すごい進歩だ。あんまり寝てないようで口調がふわふわしている。「師匠,ありがとうございます」というから「PBP完走するような弟子は,師匠の座を危うくするから今日で破門だw」。SRとるぎりぎりしかブルべ走らないし,実走も月1回くらいの私は,年に200回六甲山登るような弟子を持った覚えはありません。
ゴールしてくるひとをぼんやり眺めながら木の下で日向ぼっこ。そうすると,台湾のHanaさんと出会った。秋にSR600紀伊山地走る友達と日本に来るという話や,来年の北海道での1200kmブルべの話。今度は日本で会いましょうと別れた。CH1200で同室だったひとも帰ってきた。
ショップをのぞくと車検日に買い逃したTシャツが売っていたのでお土産に買って帰る。手書き領収書の宛名はゼッケン番号だった。最後の最後駐輪場から出るときは,受付で使った添付書類のPDFを見せて脱出。ゴール付近は混雑していたが,ランブイエ駅はそれほどでもなかった。ホテルに戻って,シャワー浴びて着替え。ドロップバッグの回収,明日の帰国の準備と意外とあわただしい。そうしているうちに懇親会。30分押しで開始。途中一緒になったひととも再び会えた。知り合いの少ない私は同じ愛媛から参加している夫妻と後輩とオレンジジュースで乾杯。
パーティーがお開きになって,もうちょっと食べたかったでの駅前のバーガーキングへ。タッチパネルでフランス語がわからなくても問題ない。夜10時過ぎでも駅から帰ってくるランドヌールたちがいる。ホテルに戻ると同室のひとが寝ていた。事故で遅れるということでドロップバッグを回収しておいたのだが,ちゃんと帰ってこられてなによりだ。話を聞くと序盤の200kmで事故って半身擦過傷,STIレバーやF/RD不調の中残り1000km走り切ったそうだ。ランブイエまで自走で戻ってくるのが一番簡単な選択肢とはいうものの,傷だらけの身体で80時間走るのはツール・ド・フランス出場選手と変わらない。
翌朝は自転車ばらして箱詰めして,チェックアウト。もうどこにも行く気力はなく,駅前のマクドナルドで昼食とって,バスで空港へ。PBP参加者のバイクで一杯のチェックイン。2時間前から空港についたが結構あわただしい。搭乗した後はうつらうつらしながら,気がついたら日本着。機内食2回あったしブルべ腹というほど空腹感はなく,フランスでは食べられなかった森永チョコモナカ食べたらおなか一杯になった。羽田空港国内線ターミナル直結のホテルに泊まって,翌朝松山空港へ。
空港に着くとAR四国ジャージ着た4人衆に迎えられた。重いでかい荷物を運んでもらって感謝。そのあとハイカロリーな茶色だらけの昼飯。これでひとまずPBP2019終了。
PBP2019:Quédillac to Goal
Quédillacの仮眠所はマットレスにちゃんとした毛布,荷物置きを兼ねた椅子と申し分ない設備だった。レスキューシートいらずで,ポーチだけを腹にいれておくだけでそのまま寝られた。ぐっすり眠って4時前にちゃんと起こしてもらった。貯金は1時間を切ったが,残り370kmを31時間で行けばいいので,よほどのトラブルに見舞われないかぎりいけるはず。
ノドが痛い。熱があるわけじゃないので,仮眠所が乾燥していたためか。外はやはり寒い。夜露でハンドルまわりはびっしょり濡れている。一緒に走っていたひとと再スタート。だが,町のはずれまで来たところで後輪の空気圧が低いことに気づいた。先に行ってくださいと声かけて,とりあえず空気を補充した。しかし,1時間も走らないうちにまた空気圧が低下している。タイヤを一通り見まわしたが,これといった傷が見当たらないので,チューブだけ交換。それもまた1時間ほどで空気圧が低下。これはタイヤに異物がささっているなと,タイヤとチューブを交換。最初からこうしておけばよかったのに,ちょっと決断が遅くなっている。寝起きで身体が動かないことに,パンク対応もあって1時間くらい余分に時間を使ってしまった。
PC9 Tinteniacに到着。Controlでチェックを受けたあと,2階にあるレストランへ。ここにパリ・ブレストがあった。朝食時ということもあって,ここが一番並んだ時間が長かった。それでも10分ほどで会計。パリ・ブレストの味は甘くなくてあまりわからなかった。むしろブドウが甘くておいしかった。あとコーヒーが薄い。レストランで一番よくわからなかったのが,コーヒーの頼み方だった。注文窓口があるところとないところがあった。ないところはどこかでいえばいいのだろうが,それをすることが煩わしい。あと,ボウルででてきて飲みにくい。
食事が終わったあとで,1階のメカニックサービスでタイヤを買う。700×25c clincher tireとメモ帳に書いて見せると,自転車持ってこいと言っているようだったが,什器にかかっているタイヤを見つけて,"S'il vous plait."。練習用タイヤでちょっとぶ厚めでかさばるが,保険のために1本持っておかないと。チューブはまだ6本あるので問題ない。
ほぼ貯金0で再スタート。後輪の重量バランスがくるったようで,下りでぼわんぼわんする。パンクの原因は取り除かれたようで,1時間経っても空気圧は変わらない。途中のちょっとした丘の頂上で,初老の息子とその父の二人組が"Coke!"と声かけてくれたので,遠慮なくもらう。冷えてるコーラがうまい。"水いるか?","ありがとう"とボトルを開けて注いでもらう。"中国からか?","いや日本だ","中国のさらに向こうだな”,"そうだ,さらに海の向こう側だ"。初老の息子とお互いぎこちない英語で話しをすると,息子が父親にフランス語に伝えている。"Merci beaucoup."と礼を言って出発。
コーラのおかげか,単なる気のせいか脚が回りだす。やっと集中して走れるようになった。町の入り口となる坂を上ると,Fougeres城が見えてきた。ちょっとだけコースアウトして城がよく見える場所から撮影してコース復帰。
フランスの町はどこも坂なんだけど,Fougeresは結構キツい方。サポートカーらしきキャンピングカーが並ぶ町中を通り抜けて,PC10 Fougeresに到着。1時間強時間を稼げた。防風防寒ジャケットを脱いでサドルバッグにしまうが,タイヤが大きくなったせいか,サドルバッグ容積ぎりぎりになってしまった。おかげでおにぎりリフレクタが後輪にこするようになった。結局おにぎりリフレクタはゴールするときにはぼろぼろになっていた。
変わり映えしないパスタとリンゴとヨーグルトの食事を済ませて再スタート。しばらく走っていると,日本人と一緒になる。よく見ると近所の大学のジャージ。去年のBRM519四国300kmで一緒になったひとだった。まだ20代だから60歳までに10回出られる。うらやましい。でも彼がひとりPBPに出てる一方で,彼の所属するサークルは仲良くバーベキューをやっていたのだった。さらに2人の日本人と合流して集団を形成しながら走った。だんだんと気温が上がってきて,蒸し暑くなってきた。登りでついていくのが厳しくなってきたし,眠気が襲ってきた。追走をあきらめてさっさと道端で寝ることにする。畑への引き込み道の傍で寝る。1時間ほど寝るとすっきりした。
後ろから集団がやってきたので,後ろにつかせてもらう。ちょうどのペースで気持ちよく走れるが,救急車が後ろから追い抜いて行った。しばらくすると,さっきの救急車が止まっていた。フランス人が転倒して横たわっていた。意識はあるようだったが,チームメイトがそばで見ている。なんてことのない見通しのいいゆるい下りところで,走りなれてそうなひとでも事故を起こすとは。今日の気温の高さのせいかもしれない。後ろから大集団がやってきた。Ludeacとジャージに書いてあるから地元チームの集団とその後ろには一般参加者がくっついている。これ幸いと後ろにくっつかせてもらう。すげー楽。このままずっと走っていってくれたらと思ったら,あとPCまであと20kmほどのところでチームは休憩といって,右の側道に逸れていった。集団の半分はそれにつられてコースアウト。さっさと左側によけておいて正解だった。ここで一旦集団の再編成。集中力が切れた者もいるようで残された者の半分くらいしかいなくなった。ドイツ人二人がほとんどひっぱってくれる。最初は体格の差で気おくれすることもあったが,この頃になると基本の走力はほとんど一緒の者同士なので,気楽に走れる。
やっとPCが近づいてきた。コーナー曲がると沿道に人だかり。DJのコールが聞こえて,大歓声。ツール・ド・フランスのゴールのようなシーンだった。うれしくて両手あげてゴールしてしまった。Controlへの階段でも"Japonais"の声がかかる。チェックを受けたあとにレストランの場所を聞いたら,ボランティアの小学生が呼ばれてレストランまで案内してくれる。レストランの入り口にはサイクリスト優先の看板。トレイも注文も全部ボランティア任せ。ちょっとむずがゆいくらいの歓待ぶり。もうここでゴールでいいじゃないかと思った。でもあと1ブルべ残っている。貯金2時間半。ノンストップなら夜明け頃にゴールになるから最終PCで寝てから朝にゴールでいいだろう。
PBP2019 PC11 VILLAINES-LA-JUHEL
名残惜しいが再スタート。町を外れると単調な景色に変わる。地平線の向こうまで伸びる道。そこにぽつぽつと先行する参加者の姿が見える。PC11の観客の熱にあてられたか,やる気が湧いてきてさくさく進む。地平線の彼方まで追いつこうと脚が回る。途中で「四国の方ですか?」と声かけられる。「めずらしいジャージ見たなと思いまして」とさすがレアキャラジャージ。「秋に四国1000kmありますから,ぜひ」と紹介しながらしばらく走る。直線なのにアップダウンがあるので,目の前にはちょっとした壁のように登りが見える。なぜかここで行こうとダンシング開始で勢いつけて登りを越えてそのまま下りに突入して,加速。下りに入ると遠くに見える参加者。追い抜こうとさらに回す。まるでゾーンに入ったように集中して走れた。だんだんと日が落ちてくるなかアップダウンを繰り返す丘陵地帯を走ることがすごく気持ちいい。実際この区間平均速度が1.2km/h上がってる。日没とほぼ同じ頃にPC12 Mortagne-au-Percheに着いた。ここは往路のwpだったが,なんか見慣れない。こんな建物あったけ?と思いながら,夕食。パスタにターキーの取り合わせ。ターキーがもそもそしているかなと思ったが,ソースが絡むので問題なかった。
4時間以上貯金があるので,まずPC13 Dreuxに行って時間調整することに。だが,ここまで快調に走ってきた反動で,進まなくなってきた。しかも首が痛くなってきた。5月以降ブルべを走っていないつけが首にきたようだ。下ハンどころかブラケットすら前傾がきつくて痛い。仕方がないのでフラット部分でなるべく身体を起こして走る。日が沈んでまた寒くなってきた。途中の町の街灯の下でジャケットを着るついでに首と肩に湿布を貼る。薬効成分が効いてきた。残りは10km/hでも進めば間に合うのだが,寒くなるのでちょっとでも速度を上げて早く着きたいし,発熱量をあげたい。登りでダンシングまぜたり下りでアウター×トップで踏み込んだりとやってみるが,やはりペースがあがらない。ちょっと歯ごたえのある登りをクリアしたところで,ベロモービルが止まっていた。スマホから音楽ながしてご機嫌のようで,トラブっているようではなさそうだ。フロントライトの明かりと音楽に誘われて,ちょっと止まって水飲んで補給食食べると,ベロモービルのドライバーが独り言のように話しかけてきた。"ここからはダウンヒルが続く。シューティングスターのように走れる" ,"ベロモービルはほんとシューティングスターのように下っていくな。幸運を!"。そうしたら,ピンバッジくれた。"Bon voyage!"。
あっという間に見えなくなるベロモービル。さてこっちも行くかと思ったら後続の集団がやってきた。助かる。コースの先がわかりやすくなった。ついていく。ここまで苦しんだのはうそのような下り基調の25km。さすがに飽きる。あと20kmくらい。先行のテールライトだけを目標に,ペダルを回す。集団を目指して走って,追いついて混ざっている間は首の痛みを不思議と感じない。誘導員の反射ベストが見えた。PC13 Dreuxに着いた。
ここは食事がいいと書かれていたが,未明ということもあってラザニアがなかった。オムレツはもうすぐできるというので,オムレツ。そういえばハムをのせたパスタを食べられなかったなとちょっと後悔。食事をしていたら,羽田で会ったひとにばったり会う。ベンチで寝ていたそうで,「死んだ顔しているよ」と言われた。証拠に写真撮ってもらったが,なるほど死んでる。1日5時間以上寝てたんだけど,やはり疲労は隠せない。朝まで寝ようと,仮眠所を案内してもらう。ペラいマットの上に雑魚寝。無料なのはいいが,朝6時に起こしてくれと頼んだのに,なぜか朝4時に起こされた。さっさと出ていけという雰囲気だったし,眠気はないので出発の準備。
ホットチョコが飲みたくなったので注文したら,準備中で待たされる。だんだんと人が増えてきた。レストランの隅で寝てる者はあいかわらず減らない。やっとホットチョコが出てきたので,飲み干して覚悟を決めて再スタート。
あと45km。のんびり走っても3時間。でものんびり走っていると気温がどんどん下がってくる。暖かい空気の層と冷たい空気の層を行き来する。登っているのに暖かくなったり,下っているのに寒くなったりと走行感覚と体感がずれて気持ち悪い。徐々に東の空が明るくなってくる。ほぼ平坦路。PBPに平坦がないといったのは誰だ。嘘じゃないかと思いながら,走っていると後ろから追いついてくる者がいた。"今何キロだ?"と聞かれたので答えようとするが,とっさに数字がでてこなかった。4桁数字を英語に換算する知能はもう残ってない。"1194km。あと25km”。"どこから来た?私は日本だ","フィリピンからだ","寒くないか?","寒いよ。おまけに眠い"。そのわりにパワフルな走りで先頭交代しながら距離稼ぐが,さすがに眠気が上回ったらしい。"眠いから寝るよ。Good Luck","Thanks, see you later."。先頭交代しながら走ったおかげで身体が動き始めて,脚が回り始めた。変わり映えのしない平坦路をもくもくと走り続ける。今日が一番寒いんじゃないかと思う。林の中の道にきて,ゴールが近い。追いついたアメリカ人とエールの交換。"走り終わったら寝るぞ寝るぞ寝るぞ",”そうだ。シャワー浴びてベッドで眠れる。俺たちやったな!"。
Rambouilletの街中はやはり走りづらい。門の石畳がきつい。そこからゴールはすぐかと思ったら意外と遠かった。早朝なのにゴールゲートで声援もらう。そして最後の石畳。ここの石畳を抜けてセンサーを越えて終了。
PBP2019: Carhaix-Plouguer - Brest - Quédillac
午前4時にお願いしたが30分ほど早く目覚める。ポーチ2つあることを確認して,仮眠所の建屋を出る。寒い。食堂の建物にはグラウンドへ登らなきゃならない。朝飯にもう一度ボロネーゼ,ヨーグルト,リンゴを食べる。メニューにバリエーションがないので,食にうるさいひとだとストレス感じるだろうな。朝4時なのにビール飲んでる者もいる。さすがにこの時間だと食堂も弛緩した雰囲気。
稼いだ貯金を1時間まで減らして再スタートするが,やはり1時間くらいならし運転しないと動かない。手足は寒いが耐えられないほどではない。真っ暗闇でセンターラインと前方にみえるテールライトだけが目印。脚が回り始めると問題なく前を追いかけていける。まだ痛いところもない。だんだんと朝靄に包まれてくる。下りで前方が見えずらくなってきた。etrex30xjの地図で先のコーナーを確認しながら下る。
サドルバッグがタイヤとこすれる音がしたので,いったん停止して締めなおしていると,ランドヌールがやってきて止まった。防寒装備を取り出そうとしているので,"どっから来た?私は日本から", "アイルランド", "アイルランドってフランスと同じくらいの寒さじゃないの?"と聞いたらちょっとキレ気味に"NO!!"と言われた。海流の影響でアイルランドはそれほど寒くないらしく,フランスのこの地域の寒さはきついらしい。3日目にアメリカ人も寒いとぼやいていたし,冬でも半そで半パンで寒さ強そうに見える彼らでもこの寒さは格別だったようだ。
ゆるい登りが続くが,脚は回っているのでまだまだ大丈夫そうだ。やっとテレビ塔が見えてきた。標高350mほどでPBPの最高地点とはいうが,ヒルクライムというよりも20kmほどの緩斜面を平坦と変わらないリズムで通過したという感じ。まだ暗い中キャンピングカーでPBP参加者を待ち受けているバカンス客たちが結構いる。さてどっちが物好きだろうか?
テレビ塔を通過して下りに入る。さすがに足と手が寒い。ところどころ登り返しが入ってダンシングを混ざるので,飽きることはない。またアップダウンが続くようになって,ちょっとした森を抜けると道が開けてあの橋(ブルガステル橋)に着いた。大西洋へ開いた湾なので,厳密には大西洋ではないんだけど,まぁほとんど大西洋を見た。
ここを過ぎたらすぐにBrestかと思ったらそんなことはなく,もう1本丘越えがあった。久しぶりの市街地走行は気をつかう。朝方とあって交通量多めで刺激が強すぎ。やっと係員の姿が見えた。PC6に到着。ついに片道終わった。朝飯と思ってレストランを探すが,見当たらない。係員に聞くと道路渡った向こう側にあった。無料のマッサージサービスもあるようだったが,施術のリクエストの仕方をフランス語というのはハードル高すぎるので,朝飯だけ。食べ終わって駐輪場に戻ろうとすると,車検日に出会った台湾のHanaさんがいた。応援で回っているとのことで,台湾のお菓子をもらう。「ランブイエで会いましょう」とあいさつして別れる。
ここから看板はParis行に変わる。貯金は2時間半くらいまで戻した。行きとは登り下りが逆になるが,傾斜はあまりかわらない。テレビ塔に向かって登る。スライドするBrest行き参加者が途切れない。もう昼前なのに,ありったけ着こんでいる者もいる。寒かったんだろうな。こちらが下りにかかると向こう側は登りだ。タイムアウトになりそうなのか必死で登ってくる者もいるが,フォームの崩れ具合が疲労の大きさをうかがわせる。
ところどころ登り返しが挟まる下りの最中に,イギリス人に追いつく。"Mile","1000"と書いてあるジャージを着ているので,そのジャージについて聞いてみると,LELより過酷な1000kmブルべということだった。"LELより厳しいのか?", "そうだ。LELはPBPより丘が厳しく,風が強く,雨ばかりだ。そしてMILE〇〇1000は,それ以上だ。" "まじかよ。","お前さんに一つ教えてやろう。こういう地形(丘陵地帯のアップダウンが続く箇所)はhillyというのだ。LELはhilly, rainy, windyなのだ。LELはPBPと違って食事も全部エントリーフィーに含まれている。お前さんも来るといい。2021年の8月だ。私は1度目はDNFだったが2度目に完走した。……" 教え魔ぽいひとらしく。しゃべり続けている。登りは一緒に上って,下りは私が引っ張る。多少の登りで一緒になるとおしゃべりが続く。"お前さんはまだ若い。私は年取ってすっかり髪の毛がなくったよ。" "私はいま減り続けているので,そのうちあんたに追いつくよw” "それだけ黒黒してるんだからまだまだだよwwww" しばらく走ってちょっと歯ごたえのありそうな登りにさしかかると,イギリス人が背中をたたいて,"全力でいけよ"と。しゃーねーなーと全力ダンシング。うしろから声援が飛ぶ。頂上通過で下りに入って振り返ると,イギリス人がいない。最後のあれはなんだったんだよ。
悲しみ(?)に暮れる暇もなく集中して走ることができた。PC7のCarhaix-Plouguerに戻ってきた。172kmを10時間かかっているので,スピードが落ちてきている。貯金は3時間半。今日はあと150kmくらいは走っておきたい。まずは飯。あいかわらずボロネーゼといっても今回はショートパスタ。あとはリンゴとヨーグルトと代り映えしない。全PCでコーラ飲んでる。カロリーの半分くらいはコーラで補ってるんじゃないかな。
再スタート。さすがにスライドする参加者は見なくなった。練習中の地元のサイクリストとはすれ違う。もう変わり映えしない景色に飽き飽きしている。Ludeacまで5時間弱。走っているとGoProへに給電しつづけていたためかモバイルバッテリの残量がなくなってSGX-CA600への給電が途絶えた。もう2年ほど使い続けてきたバッテリなので,残量が少なくなっていたか。ログ取りと積算距離の確認はetrex30xjに任せたので,パワーを見ることができなくなった。もう全力出すことないから,パワーが見えなくても問題ないと割り切る。
イタリア人チームが追い抜いて行ったので,ぎりぎりコバンザメできていたが,町への傾斜が急になったところでぶっちぎられる。緩斜面ならなんとかいけるが,傾斜が急になるとついていけるだけのパワーがもう出ない。
もはやシークレットとはいえないシークレットPC Saint-Nicolas-du-Pélemに着いた。Brest方面とは分離運用なので,コーラ買いに行くのも係員に言わなきゃ通してくれなかった。イタリア人チームのついて行った反動で食欲がわかないので,コーラだけ。
あと2時間強で飯食ってシャワーが待ってる。牛糞のにおいがLudeacが近づいたことを示している。昨日よりも路上に散らばっている牛糞が多い。ほんと晴れててよかったと思う。時間帯のせいか昨日より観客が減ったLudeacに戻ってきた。Controlのあと食事。トマトがあったので,ハムの皿を取った。野菜はほかに人参千切りとかビーツとかあったが,味がよくわからないので取らなかった。向かいの席でレインウェアまで全部着込んでうつろな目をして,食事しているインドの女性がいた。"寒いんですか?" "そう。○○○(よく分からない)" "残念したね。2023年にお会いしましょう。" インドには0度用のジャケットなんて売ってないし,PBPだけのためのウェアになるのでそれを割り切れるか。あとはWiggleやBike24にインドから注文できるのだろうか。
今回は手際よくチェーンに注油して,電池とバッテリ交換して,替えの衣類とシャワーセット用意してシャワーに行く。昨日よりもさらにお湯がぬるく感じる。オロナインとProtectJ1塗っていたが,うっすら擦れて切れている。シャワーから出ると寒い。さっさと着替えて,今度は"4年後に"とあいさつしたかったが,うまいフランス語が見つからなかった。しょうがないので"Au revoir."。まだ貯金が4時間くらい残っている。これなら次で5時間くらい寝られる。
再スタートするとそこそこの集団ができている。後ろでコバンザメしていると,横にいるひとが日本人だった。東京のひとということでブルべ事情がまったくかみ合わないw。私からするとフランスの路面はいいけど,東京のひとからみるとそれほどでもない。走力のあるひとのようで集団活性化しませんかとか言われるが,私にとっては活性化するほどでもないそこそこいいペース。今後の予定を話していて,次のQuédillacがちょうど真夜中くらいなのでそこで4時間くらい寝ていきましょうという話でまとまる。あとは町中の幅員減少やバンプ,中央分離帯に気を付けながら走るだけ。もう日も暮れて周りは闇。後方からのライトに照らされと前方のテールライトだけが見える。日本語で会話できるので3時間の道中も気が紛れてそう長く感じなかった。
Quédillacはレストランが仮設テントなので夜は寒い。昨日のガレットに,牛肉の煮込みを追加。牛肉の煮込みはここらへんの名物料理らしいが,日本人ならこれを見ると肉じゃがの味を予想するよね。これはこれで牛肉のうまさがでてるんだけど,やはり割下と醤油の味を予想しちゃう。おいしいんだけど肩透かしくらった料理。同行のひとはガレットにヌッテラ(チョコクリーム)を塗ったのを食べていた。まさにブルベやってる最中じゃないと食べられない禁断の品。ブルベ走る動機の一つは,日頃では食べてはいけない甘いものを喰いまくれるところ。仮眠所の手配は一緒に走った方がやってくれて一緒に朝4時起床ということで。ちょうど日付が変わる頃に二日目は終わった。
PBP2019:Rambouillet to Carhaix-Plouguer
Eグループが出発したので,後続のGグループ列が待機列形成。そこを遅れたEグループ参加者が横切るというカオスぷり。目の前のFグループにも遅刻のDやEのプレートが混じってる。80時間組の後はFグループのスペシャルバイク。タンデムやミニベロ以外に,カーボンモノコックのリカンベントやFerrariのまがい物"FerriRari"のvelomobileと日本では見られない珍しい車体のパレード。
いよいよGグループのスタート。道の先のテントでブルべカードにスタンプ。スタートゲートに並ぶ。道の両側には観客。"Japonais?" "Oui,bonjour" "何言っているのかよくわからない" "Merci, Au revoir." 夜間走行に備えて,テールライトを点けておく。
17:30に向けてカウントダウンが始まり,"Trois, Deux, Une, ……"で正確にスタート。前が動いたので正式にセンサーまたいで計時開始。スタートの門からはちょっと石畳。まわりとの間隔を保ってラインを保持して走る。町を抜けて郊外のアップダウンが続くようになると集団が活性化して速度があがる。路肩ではすでにパンクしている者もいる。ある程度集団が固まってきたので,じわじわ後ろに下がる。レースじゃないし,プロじゃない者同士が走っているので事故は常に起こりうる前提で集団の中にいるよりも後方にいるほうが気が楽。追いついた者は積極的に間に入ってもらう。郊外はカーブも緩いし,路面も悪くないので走りやすい。町に入ると,コーナーが増えるし,中央分離帯,バンプ,幅員減少,歩道との段差と走りにくくなる。しかも道に穴が開いてたりする。
見通しのいい郊外では集団後方で走れるが,町中では距離をおいて若干ちぎれ気味くらいの位置をとる。それでも十分ついていける。まわりのペースに飲まれてガンガン行こうぜプランでいける。時計みながら給水もできてるし,補給食も食べる余裕がある。一時間も走ってくるとさすがに先頭引っ張っている人も疲れたのかペースが落ちてきた。一方で,ちょっと前に集団からちぎれたと思った人が戻ってきたりしている。ある程度脚のそろったメンバーだと思うので先頭交代にも出てみる。ラインを守って一定ペースでじんわりと踏みまわす。ジャージ引っ張られたり,押されたりしないので問題はなさそうだ。10分めどで先頭を代わってもらう。追いついたり,追いつかれたりと集団は大きくなったり小さくなったりを繰り返す。基本集団最後尾にいると後ろからくる集団に乗り換えしやすい。
カフェが露店を出していて,水やコーラ売っていて,ここで集団がばらばらになる。焦ることなく後続待ちでたらたら走ると,ちゃんと次の集団が来る。また最後尾について走る。1本目のボトルが残り少なくなってきたころに,今度は私設エイドがでていて,水をかざしている。"Aqua, s'il vous plaît."
ボトルも満タンになったので,wpまで行けるだろう。また郊外に抜けるとちょっと斜め前から風が吹くようになる。風下になりたいなと思ったら,風下側に後続からついてきたひとたちが伸びていて,ちょっと入れそうにない。しょうがないから道が曲がって風向きが変わるまで風上側で辛抱。
来る前に読んだ記事では外人は登りはさっさとインナー×ローに落とすとかあったが,そんなことはなく,むしろダンシング混ぜてガンガン登っていく。こっちは登りの半分くらいで脱落して下りで追いつくを繰り返してる。
後続からやってきたアメリカ人に「お前はアスリートなのか?」と聞かれて「いや違う」「ペダリングがきれいだぞ」「ありがとう」というと,そのアメリカ人はさっさと集団を追い抜いて行った。アメリカ人もお世辞を言うんだな。ペダリングモニターではマイナスベクトルがはっきりわかるダメペダリングですよ。
すっかり暗くなって,真っ暗闇と前方にはテールライト,後続からまぶしいばかりのフロントライトだけの世界。登りにかかるとタンデムやリカンベントが苦しそうに登っていくのをパスしていく。集団最後尾に位置して,ペースは任せたまま。もうちょっと速くてもいいかなと思うけど,先は長いのでコバンザメ走法。
何度目かの町に入って,反射ベスト着た係員に誘導される。やっとWPに到着。118kmを4時間半。2時間くらい貯金稼げた。手前のコーヒーだしているテントを横目に,まずは柵に自転車を置いて,ボトルを持って,屋台に行く。メニュー表のある窓口に行って,指差しながら"Jampon sandwich, Coke, Aqua,s'il vous plaît." なんとか通じたようだ。サンドイッチとコーラとペットボトルの水が手に入った。計算する気力もないし,硬貨を見分ける力もないので,10€札だしておつりをもらう。フランスパンなので硬い。コーラで流しこむようにして早食い。ボトルに水を足して,ジャージのポケットからアミノバイタル補給。再スタート。どっちに向かうかわからなかったら,係員に"Brest?"と聞いてみたら逆方向を指さされた。どうやらWPの中は一方通行になっているようだ。
再スタートして,PC1に向かう。町中は街灯があって明るいが,郊外に出ると真っ暗。遠くの先までテールライトが見え隠れする。緩い登りが続く。周りに誰もいないと思ったが,走っているうちに先行に追いつく。すると先にまたテールライトが見える。前に見えるテールライト目指して走り続ける。快調に走っていると,下りで追い抜かれる。登りで追い抜いたタンデムに下りで抜かれた。圧倒的な速度差。登りで差をつけないと下りで抜かれるので,登りの終わりだとタンデムに先を譲るようになった。平坦だと同じくらいなので,先頭を牽くこともあったが,どうも私の先頭は好まれないようで,先頭牽いていてもついてもらえないことが多い。振り返ってもいないことが結構あった。
暗闇の中走り続けながら,2時間に1本くらいのペースでエネ餅とスポーツようかん食べているが,もう飽きてきた。麦茶か緑茶で口をさっぱりさせたいが,そんなものはない。走るのに飽きてきていろいろ雑念がわいてきた。ひっぱってくれるトレインも来ないまま走り続けて,なんとかPC1にたどり着けた。5時間くらいの貯金。自己最速かと思ったが計算間違えていた。普通の走りだった。
初めてのPC。自転車置き場からControlへは矢印で示されていてわかりやすいが,PC全体が広くで歩かされる。ここでもサンドウィッチとコーラに水だけ買って,先を急ぐ。テールライト目指して走るだけを繰り返す。実は意外と走れるじゃないかとうぬぼれていると,2時間経過したくらいから脚が回らなくなる。ハンガーノックというわけじゃないけど,頑張った2時間分のツケが回ってきたような感じ。それでも先に見えるテールライトを目標に走って,夜が明けてきて明るくなったころにPC2に到着。300kmブルべだとすると15時間切れてるのでいいペースだ。ちょっとトイレ待ちした後,Controlでスタンプもらう。ここのレストランで食事したはずなのだが,写真撮り忘れている。
ここから先はPCやWPまでの距離が短くなる。昼間暑くなるといっても2ボトルが空になる前にたどり着けそうでちょっと安心できる。Fougeres城を通過して写真撮っておけばよかったかなと思ったが,帰路でいいやと言い聞かせて,町を外れる。町を出るとあとは変わり映えのしない景色を走るだけ。四国ブルべのように誰にも会わないというわけではないが,トレイン乗り換え放題というほどの人もいないわりとまばらな状況。ちょっとでも気を抜くと後ろから抜かれるが,前を追い抜く目標が少ない。乗り切れないまま走り続ける。追いついた人とは脚が合わないし,後ろにもついてくれない。せめて後ろについてくれたら牽くモチベーションもわくのに。あがきながら走ってPC3に到着。貯金はちょっとだけ増えたが,ペースは落ちてきている。このPCも写真撮り忘れている。現金の入った防水ポーチをなくしたと思って冷や汗かいた。実際は防風防寒ジャケットのポケットにスマホの入ったポーチ,下のAudax Japanジャージに現金の入ったポーチを入れていただけだった。気温も上がったので防寒防風ジャケット脱いで,サドルバッグにしまう。
次のWPまでは26kmしかない。といっても1時間以上かかるわけで,単独走でだらだら走る。もう序盤のような集中力はない。積算距離が増えるのを楽しみに走るだけ。やっとWPに着いた。ソーセージを焼くにおいがたまらない。ソーセージのガレットとオレンジジュースで軽めの昼飯。テントの奥に仮眠所の貼り紙がある。帰路はここで寝るのもいいかもしれない。
食事のあと1時間ほど,まったく進まなくなった。1時間経つと脚が回りだす。まったくずぶくなったものだ。オレンジジュースのおかげが1時間経つと回りだす。残り2時間頑張れば今日の目標のLoudeac。でかい風力発電プラントが見えるので,風が強い地域らしいが,さいわい風に悩まされることはなかった。悩みは牛糞のにおい。Loudeac周辺が臭いってことはこの周辺は畜産の地域なのだろう。郊外の路面は基本的にいいのだが,ところどころ荒れ気味で跳ねる。1kmも続くわけないので,辛抱するしかない。登りが続くと,リカンベントとタンデムに追いつく。緩斜面の下りならなんとか後ろにつけるが,結局次の登りでお別れだ。そして次の目標目指して走る。もうすぐLoudeacかなと思って丘を登るのだが,さらに向こう側に広がる平原。町らしいものは見当たらない。etex30xjのマップを小縮尺にしてゴール地点が見えないかなといじってみたりする。だんだん眠気がやってきた。天気もいいし,路肩だと気持ちよさそうに寝られそうなので,さくっと寝てみる。「行き倒れがいるよー」と日本語が聞こえたような気がして目が覚める。1時間ばかり寝てすっきりした。
あと10kmほどなのになかなか町らしいところが見えてこない。町に入ったけど,Loudeacじゃなかったを繰り返して,やっと来たよLoudeac。なんだこの観客の多さは?まずは自転車止めて,右手を見ると見慣れた青いバッグが並べられている。まずはControl。途中で"Japonais?"と呼び止められる。"オレの日本の友達を紹介する"と話しかけてくる初老の男性。"Controlチェック受けた後でいいかな"とまずはControlにスタンプ押してもらう。出ると先ほどの男性が待っていた。そばに立っているジャージの男性を指さして"〇〇っていうのだが,知っているか?"と聞いてくるが,もちろん知るわけがない。"日本人だけで400人以上参加しているので,知り合いじゃないほうが多いんだ" "そうか"と別れた。
レストランで食事して,ドロップバッグのところに戻る。食べたばかりなので,柿の種とか食べたいとは思わない。チェーンにオイルさして,ドロップバッグに戻り,トイレに行って戻り,電池・バッテリの交換をしてと気がつくと着いてから2時間が経っている。やっとシャワーセットと着替えを取り出して,シャワーに行く。ぬるいお湯というよりちょっと温まった水くらい。持ってきていたシャンプーとボディソープで汗を流して,不織布のようなタオルで拭いて,オロナインとプロテクトJ1を塗って着替える。着替えた後のアンダーウェアが発酵しないことを祈りながら袋詰め。日焼け止め塗ったが,リップクリームを忘れていたことが発覚した。シャワー室を出るときに"À demain(また明日),au revoir."というとちょっとウケた。まだ日があるので,76km先のPC5までは余裕。165km先のBrestまで行くと,みんなが写真撮っている橋が真っ暗で何も見えなくなるので,やはりPC5で寝て,朝にBrest着で行くことにする。
ここまで時速20kmペースで走れているので,スケジュールは読みやすくなった。2時間で次のWP。途中で先頭とみられる3人とスライドした。走りもそうだけど,装備の身軽さもまさに別次元。この後も80時間組とスライドするが,小集団で前方だけ見て走っている。そのスタイルは競技としてのブルべ。
なんとか日が落ちる前にWPに着いたが,予想にもあった通りシークレットPCだった。コーラだけ飲んでさっさとPC5に向かう。PC5で寝よう。寝る時間作り出すためになるべく速く走ろうと再スタート。
あと1時間半で寝られる。飯食って寝よう。それだけ考えて走った。昼寝が効いたか,脚は回る。風もない。はるか前方に見える先行する集団を追いかけるだけ。そうしていると後ろから4人組が追いついてきた。後ろにくっついて走っていると緩い下り直線で,35km/hくらいでいいペース。たまに先頭を牽いていた。なのにアメリカ人が「ローテーション回してスピードあげていこうぜ」とペースを40km/hまであげやがった。他の3人もノリよくローテを回し始めた。2列縦隊で右回りでローテーションしていくのだが,最後尾から左側によってあがっていくのが間隔あげすぎて,うまくいかない。近づきすぎてハスって転倒するくらいなら,間隔あけて脚使って埋めにいくほうがましだ。「お前ら,技量のわからない東洋人をよくローテーションに組み込もうと思ったな」と聞かれないように愚痴こぼしながら,3巡ほど回ったところで右折分岐になったのでローテーション終了。ちょっとほっとした。刺激的な時間が終わって,また平穏な状態に戻った。こうなると他よりも背の低い私は先頭に出てもわりと早めに代わってもらえるというか代ろうと前に出てこられる。そりゃ風よけにならないもんね。日が沈んで寒くなってきたころにPC5に到着。Controlでスタンプ,レストランで食事。ここで初めてパスタを食べる。つくりおきのボロネーゼ。塩かけないと味がしない。塩かけるとまぁ食べられる。アルデンテ至上主義じゃなければ食べられる。むしろべちゃっと甘くない分,日本のミートスパゲティより食べやすい。
さて,仮眠所はどこだろうと看板みると,グランド横切って降りた先だった。順番待ちの列ができていて大丈夫かなと思ったが,寝る場所は取れた。起床時間は「午前4時」を翻訳ソフトでフランス語にしてみせた。体育館に薄い白いシーツにくるまって並べられているのは遺体安置所にしか見えない。反射ベストから使い捨てカイロを取り出して腹と背中に貼って,背中のポーチ二つを腹に入れて,エマージェンシーシートかぶって寝る。予定では午前4時に起きて朝飯くってスタート。
PBP2019:スタート前,装備と走行計画
スタート当日の朝,パン,チーズ,ハム,ヨーグルト,リンゴに今日はキウィがあった。今治からの参加者からエナジーバーをいただく。グルテンフリー天然素材のみの「minagiru」,材料に含まれるデーツはあまり好きではないのだが,チョコ味が効いていて気にならず食べやすかった。
2日前になって最終コースが変更になったのだが,RidewithGps経由でSGX-CA600には変更後のコースを入れられたが,etrex30xjには入れられなかった。朝食時にetrex30持ち同士ならルートを通信できるということで,その後渡してもらった。
17時30分スタートなので,ホテルを14時くらいに出発すればいいので,朝食後は車体にナンバープレートつけて,装備の確認のあと寝る。昼前に起きたが,今日は日曜日ということで多くの店が休みだし外食するのも面倒なので,昨日買っておいたパンを食べる。もうちょっと寝ていたかったが,覚悟を決めて出発の準備。天気予報では4日間晴れで,たまににわか雨があるくらいのようなので晴れ装備。昨日使ったシューズカバーは置いていく。
装備はキャップ以外はこれまで使ってきた物ばかり。キャップだけは,汗を吸い取ってくれるのは良かったが乾きが悪くてPC1で廃棄した。ドロップバックの着替えにはAR四国長袖ジャージ以外は同じアンダーウェア,ショーツ,ソックス,グラブを入れておいた(レッグウォーマーだけは4日間着たまま)。
装備品リスト
- ヘルメット:OGK Kabuto Zenard
- ヘルメットライト:Gentos Led ヘッドライト NR-004R
- キャップ:タオル地のキャップ
- アイウェア:Oakley Racing Jacket+度付き調光レンズ
- ベースレイヤー:Outwet LP1
- アンダーウェア:mont-bell ジオライン L.W. 長袖
- ジャージ:Audax Japan PBPジャージ 長袖
- 反射ベスト:J2X 反射ベスト
- グラブ:Specialized BG gel globe
- 時計:Casio Phys
- ビブショーツ:Redwhite The Stealth Fondo
- レッグウォーマー:Castelli Nanoflex レッグウォーマー
- ソックス:Swiftwick aspire four
- シューズ:Sidi ergo3
夜の寒さ対策にmont-bell スーパーメリノウールL.W.Tシャツとイオンスポーツ Thermo Weaveマルチカバーを反射ベストのバックポケットに入れておいた。
自転車もこの4年間走ってきたC60にCH1200を走ったBora Ultra35+Vittoria Corsa Control 25c。ハンドルとステムは3Tのアルミ,シートポストはFizikのアルミ,サドルはAstute Skyline VT3.0とチタンレールなので,振動吸収はタイヤとグラブがやればいいと割り切った仕様*1ボトルはElite FLY 950mlのキャップ付。とにかく脱水症状にならないように水はたっぷり,そして道に牛糞がおちているから雨の日には飲み口を守れるようにキャップ付きを選んだ。スポーツドリンクと真水を1本ずつ。結局晴れだったので初日だけでキャップは廃棄。ただでさえCamelbakと比べて飲みにくいのにキャップがついていたので非常に使いづらかった。
走行計画は複数プランを作成するひともいるようだけど,公式のタイムテーブルからサイコンのファイル名を付け足して17:30スタート用のPC締め切り時間だけを作った。どれだけ時間に余裕があるか,次のPCまでの距離,サイコンで読み込むファイル名がわかれば問題ない。プリントアウトしてパウチして反射ベストのバックポケットにいれておくとともにPDFでスマホにも。
PCが混むという話は聞いていたので,とにかくボリュームゾーンに飲み込まれないように先行することだけ考えた。スタートで周りに飲まれないようにというアドバイスがあるが,むしろガンガン行こうぜスタイル。丘陵のアップダウンコースなら多少上りで無理しても集団なら下りで休めるはず。もちろん自分の限界はわかっているので,パワーメーターと心拍計を見ながらだ。
旅程としてはドロップバッグがあるLoudeacがポイントで,初日Rambouillet-Loudeac 445km,二日目Loudeac-Brest-Loudeac 338km,三日目 Loudeac-Rambouillet 436kmと3分割。あとは実際の進行状況と疲労度合いに応じて調整することにした。日本よりも1割くらい時間が余分にかかると予想して,400km24時間で見積もりはしていた。
ホテル出発前に,アルファ米おにぎりに水を入れてバックポケットに入れておく。これでスタート地点ではおにぎりが食べられる。さすがに駅までの道も覚えたし,券売機の使い方も覚えた。今日は電車も空いている。Rambouillet駅前の雑貨屋で500mlの水買ってスタート待ちに備える。やっと覚えた一方通行の配列でスタート地点へ。
駅前はそれほどでもなかったが,スタート地点は大混雑。どうやら柵でスタート待ちとそうでない列が区切られているようだがカオス状態。スタート前の食事は予約してなかったが,そうだったらレストランまでここを通り抜けるのは結構大変そうだ。結局,トイレとゴミ箱が近いのでスタート待機列の先頭付近の木の下で待つ。太陽光が刺すようなくらい熱く感じる。A組のスタートを見に行きたいと思ったが,体力温存のためじっとしたままおにぎり食べて座ってた。周りをみると,私のようなボッチで待つひともちらほらいた。でもボッチはお互いアイコンタクトがせいぜい。お互いじっと座ってる。家族や友達,知り合い同士仲良く待っている中でボッチも国境越えて存在している。
スタート地点への道を挟んで,スタート待機列が2つあることがわかったので,G組の待機列の一つ前のE組のさらに前のD組が動き出したころに,E組の後ろに並ぶ。15分間隔スタートなので,ここからさらに1時間くらい立ったまま並び続けることになる。
*1:たまに「それで疲れませんか?硬くないですか?」と聞かれるのだが,貧脚は少しでも推進力に変えたいんですよ。でも膝が痛くなることは最近はないし,足はしびれたけど,手のひらは問題なかった。四国の3桁国道や県道走ってるので悪路耐性だけはどうやら高いらしい。今回の道なら23Cでも問題ない。
PBP2019:日本出発から前日受付
台風接近で前日出発すら一時期危ぶまれたが,幸い羽田にたどり着けた。国内線第2ターミナルから国際線ターミナルの巡回バスにかろうじてバイクサンドが乗っけられたが混雑時なら無理だ。
当日はマイル修行の成果でツアーとは別のカウンターで優先受付。従価料金でお願いしたら,担当者が手続きがわからず電話経由で担当者につないでいた。隣の受付に同じくバイクを持ち込んでいるひとがいて挨拶。その人とは前々日にもランブイエで出会うことになる。
従価料金手続き待ちの間に,別のカウンターではチケット紛失客の対応してたり,段ボール4箱持ち込む客など,早朝の鮮魚市場くらいの賑わいというか喧噪。なんとか手続きが終わり,大型荷物検査場へ。CO2ボンベのサイズの確認があったが,それ以外は問題なく終わる。あとは無事に届くのを祈るだけ。
いったんホテルに戻って朝食とって,チェックアウト。荷物検査も問題なく通過できた。ラウンジで去年のCH1200の帰路で出会った人がいらっしゃたのでご挨拶。出発がいくぶん遅れたが,それほどの問題なく搭乗開始。
機内ではノイズキャンセリングヘッドフォンで耳からの聞き疲れを少なくしつつ,時差ボケ予防に起き続ける。日本時間で11時45分発でパリ着24時。バスでホテルに着いたのが28時(フランス時間21時)。フランスの祝日でレストランは軒並み休みで,晩飯どうするかと思ったが,ホテルの隣のベロドローム前の屋台がまだやっていると聞いて,店じまい前に飛び込んでパニーニとポテチに紅茶のセットを買ってこれた。
同室の方はAJ岡山の所属。「遅いんですよ」と謙遜されるが,あの岡山をホームで走って完走される方は速いとか遅いとかではなく強いはず。PBPでは序盤200kmで事故にあって半身擦過傷でディレーラー不調なのに完走されていた。
自転車を組み立てる。シートポストのトルク管理がうまくいったかどうかは実際に走ってみないとわからないが,ひとまず何の問題もなく組み立てられた。工具類の忘れ物もない。日本時間ではもう30時(フランス時間23時)。感覚的には400kmブルべを走っているような感覚。身体は興奮状態で起きてられそうなのだが,身体を現地時間に合わせるように,シャワー浴びて睡眠改善剤使って寝る。
何度か途中起きたが,フランス時間の朝7時に起きた。朝食は,パン,ハム,チーズ,ヨーグルト,リンゴ。牛乳とシリアルもある。これなら日本からオールブラン持ってきておけばよかった。
今日は明日車検と受付を行うランブイエに行こうと同室の方と一緒にSaint-Quentin-en-Yvelines駅に向かうが,北口は券売機がクレジットカードが使えず,南口に向かうが立体交差を含む道がいまいちわからず,大回りしたあげく右側の生垣に突っ込んでしまう。幸いRDは無事で,ウェアが汚れたくらいで済んだ。右側通行を意識するのだが,左側の空間に意識が向かいがちで,右側の車幅感覚が意外とない。なんとか南口にたどり着き,券売機も英語を選択することでRambouillet駅まで切符も買えた。
電車で30分でRambouillet駅に到着。一方通行に戸惑いながらランブイエ城を目標に走る。途中で石畳が出てきて,やばいと思ったが幸いそれほど距離があるわけではない。ランブイエ城の手前で,ランドヌールの一団がいた。あとで確認するとスタート地点に一番近いホテルのようだ。
ランブイエ城の中は荷物チェックやらめんどうそうなので,外をぐるっと回って観光終わり。ゴールと車検場を確認。終わった後にこれからどうするかと思ったら,去年の神戸600kmと広島600kmであいさつした方が自走で帰られるとのことで道案内をお願いして後ろをついていく。高速道路の側道を通り,しかも右側から左側へと変わったり,GPSだけではちょっと難しい道だった。途中昼飯を挟んで2時間ちょっとでホテルに戻ってきた。まだ日が高いので,今度はベルサイユ宮殿へ。片道10kmもしないから簡単と思っていたが,ここも自転車道が途中で途切れてちょっと迷う。途中で,マレーシアの団体に,"Where do you go ?"と聞かれたので "Versailles"と答えて前を牽く。自転車道なのか歩道なのかはっきりしないくらい走りにくい道を通って,ベルサイユ宮殿に到着。中には自転車で入れないので正面の門から撮影して帰る途中で,自転車で走れるゲートがあったので入ると,池のある側に出られた。ぐるっと池の周りをまわってベルサイユ宮殿観光終了。帰りは自転車道の分岐を見落として危うく高速道路に行きかけたりとひやっとしたが無事に帰還。カルフールで水500ml6本セットや晩飯代わりのハムやチーズ買って食って寝る。
前日受付は雨。昨日学んだ電車輪行で行くが,ほかの参加者も自走ではなく電車を選んだので乗客はそれほど多くないのに,自転車で出入口付近大混雑。隣駅でCerveloS5やS-Worksと高級自転車に乗ったアジア人一行が来たから,話をしたらタイからの参加者で,私が日本人だとわかると「しまなみで走ったよ」と写真見せてくれる。「愛媛だからしまなみ海道は何度も走ってる」「鳥がうまかったよ」「それはImabari Yakitori」「それだ」とこちらの片言英語に応えてくれる。「次のしまなみ国際サイクリングもいくよ」「大歓迎だ」で駅で別れた。
本格的に降ってきたので,レインウェアを着て走る。シューズもカバーをかぶせた。石畳に気をつかう。車検場につくと大混雑。どうも時間帯別に分けた意味はなかったようだ。多くの者が昼前に車検済ませようとするのは当然か。車検はライトだけじゃなく,ハンドルやボトルゲージの固定具合,ブレーキのひきしろまで確認する結構念入りだった。私は尾灯はReflex autoとOmni5なので,Omni5点灯で通過できたが,左右ともomni3 autoだと車検通らず苦労したひとがいたようだ。
車検通過するとナンバーを書いた紙が渡されるが,雨の中でぼろぼろになりそうであぶない。しかも車体には番号貼られなかった。駐輪場に停めて,受付に。フランス人かそうでないかで建物が分かれている。日本語受付はないので英語の窓口に並ぶ。PDFファイルのプリントアウトを見せて,ブルべカード,タグつきナンバー,反射ベスト,注文したジャージの受け取りだが,最後に手首にまく青いストラップがはいっていない。受付受領書の裏にメモ書きをして,フランスの窓口に行けというので,行ってみると,青いストラップの箱を開けてみるものの,ブルべカードを指さしてフランス語で説明し始めた。再発行するつもりはなさそうということで,ストラップがなくてもブルべカードとパスポートで参加者であることの確認はできるからなんとかなるだろうとサインして受付終了。とはいってもいきなりトラブルで気分は悪い。雨で身体も冷えた。戻ろうとするとクリートがはまらない。見てみると泥が詰まっている。もう一度あの混雑に戻る気にはなれず,同室のひとがいてくれたらと期待して,スピードプレイのクリート1セットお願いするメッセージを送る。しばらく走っていると「緑のひと」と呼ばれた気がして振り向くと,CH1200で私をモンベルグリーンの日本代表に認定した台湾のスタッフの方に出会えた。雨で車検はさんざんだったが,雨のおかげで1年ぶりにめずらしいひとに会えた。
帰りのRambouillet駅のホームで,ドイツ人に話しかけられる。これから車検に行くようで,スタート地点までの距離と聞かれてGoglemapを見せて2.6kmだとわかると,スーツケースタイプの輪行箱から自転車を組み立て始めた。近かったらケースそのままで行くつもりだったらしい。スタート組を聞くとP組だったので,「私は遅いので,追いついたら連れてってよ」というと,「そんなバイク乗っているヤツに2時間差を巻き返せない」「君はトニー・マルティンと同じくらい速いんだろ」「そんなわけねーよw」という会話が成り立ったような気がする。
PBP2019準備
PBPのプレレジストレーションで90時間で最も早い枠をとるために,2018年にCH1200で1200kmの距離を,9月にはAJ岡山主催の四国1000kmで累積獲得標高13000mを経験した。2019年のプレレジでは90時間組18時スタート(当時は最早枠)をとれた。その後スタート枠の拡大で17時30分に繰り上げる。
5月までにSR取得を目指して,各団体のBRMからスケジュールを作成し,11月から順次申し込み。関東のようなエントリー峠はないだろうとは思うが念のため申し込み開始時刻前にスポーツエントリーに貼り着き。全部完走できてSRが取れたので,予備のスケジュールにしておいた分でSR600紀伊山地も走ってこれた。
- BRM112和歌山600km
- BRM210高知400km
- BRM302倉敷300km
- BRM224四国200km
フランスへは,搭乗時間や荷物の扱いを考えて羽田発ANA直行便。松山始発からでも間に合うが万が一の機材トラブル回避のために前日入りして国際線ターミナルのホテル前泊。当初はBooking.comなどでホテルとることも考えたが,PBP走行中の荷物の扱いやシャルルドゴール空港から市内まで自転車抱えて一人で移動するきつさから,グッディスポーツのツアーを選択。時差調整を考慮して8月15日出発,8月24日着のスケジュール。
スマホはauの世界データ定額を利用。24時間ごとに更新しなければならないのは多少面倒だが,OrangeのSIMに差し替えて運用する面倒さをカネで回避。
出発前に,自転車はRDの交換に合わせてブレーキワイヤー,シフトワイヤー,チェーン,バーテープ,クリートも交換。
輪行箱はCH1200にも使ったバイクサンド。今回で両サイドの段ボールが凹み,角が削れてパーツ買い替えになった。用心のためにチェーンリングには水道用チューブを切り開いてかぶせてタイラップで保持しておいた。RDは外してシートポストも抜いておいた。
装備品はいつものブルべで使っているやつにGoPro7を買い足し。試しに使ってみたが録画をたまに失敗する。行きの100kmとPCへの入り口くらいを録画できればいいので,256GBのメモリーカード1枚だけ。
フードポーチとドロップバッグの補給食は食べなれたエネ餅+スポーツようかんで走ったが途中で飽きて,結局10本ずつで半分余った。スポーツドリンク粉末はMUSASHIだけど,疲れてくると粉末をボトルに入れるのすら面倒になってしまう。その場合はアミノバイタルだけ飲んでおいた。
バッテリ・乾電池関連は残量を気にせずルディアックで交換した。旅程もそうだがルディアックで区切り,シャワーを浴びて,バッテリも交換してリセットして走る。
寒さ対策で,シートポストバッグには防風防寒ジャケット,反射ベストのバックポケットには使い捨てカイロ2つを入れておいた。
反射ベストのバックポケットのスーパーレジ袋はトイレ使用時に上着などを入れておくためだったが,入れ忘れたため前日受付でもらったナップサックを代わりにつかってドアノブに引っ掛けておいた。
シャワー時の貴重品については半透明ごみ袋に入れて持ち込み。
あとは忘れ物さえなければ。
PBPの準備リスト
- パスポート
- ツアー申込・入金
- 自転車メンテナンス
- 輪行箱
装備品リスト
- フロントライト:Volt1700×2,Volt800×2(交換バッテリ2本)
- テールライト:Cateye Reflex auto & Omni5 (交換用単4電池4本)
- etrex30xj(交換用リチウム乾電池4本)
- Pioneer SGX-CA600
- GoPro7
フードポーチ(apidura)
- エネモチ5本
- スポーツようかん5本
トップチューブバッグ(apidura レーシングシリーズ)
- モバイルバッテリ10000mAh
- microUSBケーブル
- USB-Cケーブル
- 単4乾電池4本,Volt800交換バッテリ1本,単3リチウム乾電池2本
シートポストバッグ(Ortlieb シートパックM)
- 輪行セット
- 交換用タイヤ1本
- 予備チューブ6本
- CO2ボンベ2本
- タイヤレバー
- タイヤブート6枚
- 例のポンプ
- 工具
- ウィンドストッパージャケット(Castelli Transition)
- レインウェア上着
反射ベストポケット
- 除菌手拭き
- おしりふきシート
- ハンドタオル
- MUSASHI+アミノバイタルセット3袋
- アミノバイタル6本
- 使い捨てカイロ2袋
- 外用鎮痛消炎剤(ゲルタイプと湿布)
- スーパーレジ袋大4つ(のはずだったが入れ忘れたため,PBPのナップサック)
ジャージバックポケット
カードホルダー
- パスポート
- ブルべカード
- クレジットカード
ドロップバッグ
- 着替え(アンダーウェア,ジャージ,ビブタイツ,ソックス,グラブ)2セット
- シャワーセット(シャンプー&ボディソープ,スポンジ,ひげ剃り,タオル)2セット
- 補給食:MUSASHI+アミノバイタルセット6袋,柿ピー6袋,アルファ米おにぎり2袋,エネ餅15本,スポーツようかん15本
- モバイルバッテリ2本
- チェーンオイル+ペーパーウエス
- 予備用度付きサングラス
- 使い捨てカイロ10袋
- タオル
- 45L半透明ごみ袋2枚(シャワーの時の貴重品入れ他)
旅行用カバン
- ペダルレンチ
- エアポンプ
- エアゲージ
- シューズ
- ヘルメット
- 度付きサングラス
- ノイズキャンセリングヘッドホン
- iPad
スマホアプリ
ツールドにし阿波 2019 SSコース
去年は落合峠が通れずSSコースがなかったが,今年は復活。毎年もらえていたSSコース完走者優先駐車券がなくて,駐車場は先着順。去年からスタート順も先着順になったので,4時半頃に行ったらすでに9列目。昼の最高気温は25度以上になる予報だが,スタート時点では10度以下で寒い。300台以上の自転車が並ぶ待機列は壮観。160kmで3500mUPで350人なのに,200kmで3900mUPになると参加者が1/15以下になるのはなぜか。10年目続ければ増えるのか?著名な峠を組み込む必要があるのか?
スタートしてから,序盤は吉野川沿いを走って太刀野山へ。ここでバラけるかと思ったが,300人以上が走ると後続からの速い人が上がってくるので,意外と前を走る人の数が減らない。登りの途中で下りが混じると「エベレスティングに使えない」とちょっとがっかりしながら,チェックポイントに到着。給水の必要はないので,ゼッケンのチェックタグをもぎってスタッフに渡してそのまま通過する。
下っていくと,前の集団においついて,そのまま平坦区間に突入。信号待ちで,さらに前方の集団と合流したり,後続の集団がおいついてきて,車列がながくなってきた。幸い,車列を区切ろうとするひとたちがいたし,今度は信号で区切られるようになってきた。つるぎ町からは剣山への登り区間。去年と違って太刀野山でふるいがかかっているのか,去年とは違ってそれほど集団がバラけることなく登っていく。追い抜くほどでもなく,かといって力を抜くと置いていかれる絶妙なペースなので,そのままくっついていって岩戸温泉に到着。SR600で岩戸温泉によるといいよとアドバイスをもらったが来られなかった因縁の場所に逆から来ることになった。ここで休憩長めに取るひとが多くて,トイレ寄って水だけ補給すると単独走になる。こうなると後ろから抜かれていくだけ。
第1ヘアピンカーブの頃から傾斜がきつくなってきて,疲労もあってダラダラ走るようになってきてしまう。剣山スキー場までの残り距離とヘアピンカーブの番号が増えて第7になることだけを目標に走る。途中でゲストライダーのちゃりん娘に追い抜かれる。頑張るとついていけるペースだったので,目標にして走る。AR四国の宣伝しておこうかと思ったのだが,向こうも真剣に走っていたので邪魔しちゃ悪いので,結局距離あけたまま,剣山スキー場を通過。そこからはちょっと傾斜がゆるくなってラ・フォーレつるぎ山の看板を通って見ノ越への下りに入る。アンパンとコーラ,ボトルに水を補給して再スタート。ゲストのちゃりん娘は大人気だったので結局話しかける機会のないまま,悪路の下りに突入。
去年は雨で水たまりがあったり路面状況がはっきりしない箇所があったので,スピードを抑えぎみだったけど,今年は晴れてるので行けるところは行く。そのため振動がきつくて手首が痛くなってきた。下っていくと前の集団に追いついた。ブラインドコーナーが多いので,前に人がいると助かる。20km以上悪路とブラインドコーナーを下らされることに飽き飽きした頃やっと落合峠への分岐点を通過。先行者たちとスライドして,児童たちに盛大にお迎えされながら東祖谷小中学校に到着。ガリガリ君を頭痛と戦いながら早食いして折返し。
落合峠への分岐を曲がって集落を通り抜ける。山の斜面を縫うように登っていく。集落を抜けると山の中。あとは10km登るだけ。前の方にひとがいると思ったら,押し歩きしているCコースの参加者たち。たまに追い抜いていくのはSSコースの参加者。給水ポイントを抜けて,周囲の見通しがよくなると路面には4kmの表示。あとは1kmごとに減っていく数字と遠くに見える山肌を目標にペダルを回すだけなのだが,だんだんと腰にある痛みの素のような塊がはっきりしてきたし,太腿はぴくぴくと攣る寸前の兆候。だましだまし登っていく。コーナーを1つ分勘違いしてぬか喜びしたあとやっと落合峠のチェックポイントに到着。コーラを楽しみにしていたのに,水しかない。たまたまコーラが飲み干されていたらしいことは後から知ったが,落合峠で飲むコーラを楽しみにしていたので,絶望しかない。攣り予防に芍薬甘草湯飲んで,エアサロンパスを吹き付け,ボトルに水継ぎ足して失意の中再スタート。
フォトスポットの落合峠の標識は撮影待ちの列ができていたので,あきらめて脇から撮影して,桟敷峠への下りへ。意外と気温があがらなくてウィンドブレーカーなしではちょっと寒いかなというくらい。それも1000mくらいまで下りると気にならなくなった。路面は一度ちゃんと清掃されているくらいきれいで走りやすいし,10kmくらいなので飽きが来る前に終わる。しかし,そこからの桟敷峠への登りでリズムがつかめない。しかも暑くなってきた。たかが100m程度の登りなのに,下り終わった身体にはつらい。押し歩きしている人もそこそこいる。一昨年までならガリガリポイントとして親しまれていた桟敷峠はなにもなくもちろん誰もおらず,祭りのあと感。
桟敷峠から下りも路面はきれいで,タイトコーナーの連続だけど問題なく下り終えた。下界につくと初夏の暑さ。最後のチェックポイントの加茂農村公園に向かうと,眼の前には急斜面。コースプロフィールでは気づかないくらいのちょっとした登りなのだが,疲れた身体には精神的に堪える。ここにもコーラはなく,ゼリーだけ食べて折り返す。
国道に合流するまでは,広域農道ぽいアップダウンが繰り返されて,最後の最後にダンシングとシッティングを繰り返しながらラストスパート。国道に合流してもゆるくアップダウンがくりかえされて,さらに信号待ちが付け加えられる。国道から一旦離れて池田の市街地の手前でそびえ立つ斜面。再び国道に合流するまで60m登らされる。落合峠を過ぎた時点で累積獲得標高が3000m超だったので,残り500m分どこで登っているのかと思ったらこういう細かい登りの積み重ねが最後の15kmに混ぜ込まれていた。再合流した国道からゴールまでは正真正銘の下り。
今年は串焼きがあったらしいが,すでに品切れ。いつも半田そうめんとうどん,いちごミルクにホームランバー食べて終了。落合峠のコーラだけが心残り。
SR600四国山脈 DNF
SR600紀伊山地はランドヌール部門で完走できたが,四国山脈は簡単にはいかないだろうと思っていた。そもそも累積獲得標高15000m弱なので,単純にVAM500mが要求される。さらに石鎚山の関門時間に合わせてスタートしなければならない。PC2の手前にある道の駅美川を過ぎるとPC3の姫鶴荘まで補給できない。悪路で悪名高い京柱峠,夜は獣道と化す県道304号と日のあるうちに通過したい徳島県と時間の制約が厳しい。
7時の関門に合わせるなら午前4時頃にスタートすればいいのだが前泊が必要。自宅から余裕を持って西条市に出発することを考えて午前9時40分スタートにした。これだと道の駅美川の食堂や姫鶴荘は閉まっているので,開いているのは土小屋の食堂のみ。そこを逃すと補給できるのは195km先の仁淀川町のローソンまでない。デイパックに食料詰め込んで走ることにする。
ウェアは紀州山地からジャージがAR四国ジャージに変更。裏起毛じゃなくて3シーズンジャージになったので,アンダーウェアをジオラインの中厚に変更したのと薄手のウールシャツ追加。
伊予西条駅に着いて輪行解除。ボトルに麦茶と水を入れて出発待ちをしていると,たこぼうずさんが応援に来てくれた。アミノバイタル(しかも1本は金)とプロテインに靴用カイロの差し入れをいただく。たこぼうずさんはR熊本のがまだすウィーク に行かれるそうで,お互い健闘を祈って出発。
先週は下った寒風山トンネルからの道を今日は登っていく。下りだとあっという間なのに登りだとなかなか進まない。この登りは去年の四国600kmと四国1000kmのコースなのできつい思い出しかない。どちらも夜だったので今回は陽の光の下で走れることだけがプラス。旧寒風山トンネルへの分岐に入って,くねくねと引きずり回される感覚で走らされる。気温が高くないので水分消費が少なくて助かるが,遠くに見える山頂が雪か霧氷かで白い。標高1700mだと10度位下がるので気温は一桁だと予想していたが,ひょっとすると零度前後かもしれない。分岐から10km以上走らされてやっと旧寒風山トンネルにたどりつく。瓶ヶ森林道への駐車場は車で一杯。対向車との離合で待たされること度々。登っていくにつれて気温は下がっていき風が刺すように痛い。UFOラインの撮影ポイントで撮影した後でジャケットを着込んで,グラブを指付きにして,靴にカイロを入れる。しかしタイツが薄くて上半身の腕と胴だけが防寒できていて,下半身や手足は痛いくらい。アップダウンのリズムがつくれず,下りでも登りでもスピードがのらずダラダラと走ってしまう。霧氷の並木道を抜けてPC1の石鎚山系鳥瞰図を撮影。気温0.1度,道理でグラブやタイツが役に立たないはずだ。その後も下りメインだが時折挟まれる登りで苦労しながらよさこい峠を通過して,土小屋に到着。ここもGWということで観光客が多い。2階の食堂で親子丼を食べて,ボトルに水を補給しておく。
ここから美川までの下りと平坦で時間を稼ぐ必要がある。しかし,石鎚山スカイラインの3km程度の登り返しがきつくて進まない。距離看板を見ながら踏むだけ。再び下りに入って,そのままおもごふるさとの駅を通過してそのまま御三戸に下ハン持って踏む。踏むといってもその後の登りがあるので加減が難しい。御三戸に着いて道の駅美川でトイレ休憩。ここから久万高原ヒルクライムのコース。1000m登るのでおおよそ2時間で登ればいい。15kmほどなので時速8kmで十分。旧スキー場まで50分かかったので,頂上まで残り50分。頂上が近づいて開けると吹きさらしで風が痛い。だんだんと腰が痛くなってきたし,膝もあやしい。なんとか夕日が沈む中PC2の美川峰の看板を撮影。ヒルクライムのゴール地点を通過して向こう側へのダウンヒル。まだ日が残っているので,ここでも時間が稼げた。おおよそ頂上では平均15km/hを下回るが,下りで取り返している。
下りて国道440号に合流したら四国カルストまでにドリンクを補給できるところはないかと思ったら,1台だけダイドーの自販機があった。麦茶を買ってボトルに詰め替えているだけでも身体が冷えてくるのがわかる。姫鶴平への分岐に進んで登りになると,腰の痛みがきつくなってきた。膝もあやしいどころか痛くなってきた。去年の四国1000kmではハンガーノックで進まなかったが,今回は痛みで進まなくなってきた。ハンガーノック予防にスローバーやくるみ餅,一口ようかんを登りではまめに食べている。真っ暗闇でぐるぐると回され,まだかまだかとetrexの地図を表示させてはがっかりする。やっと梼原と姫鶴平への分岐にたどり着けた。あと3kmくらいのはずなのに,コーナーを抜けても抜けてもたどり着けない。腰が焼けるように痛くなってきた。そろそろ限界かも。いつになるのかと思ったら灯りが見えた。やっとPC3姫鶴平に到着。写真撮影。月もなく満天の星空。よく見ると観光客やキャンパーで賑わっている。
この先,五段城まで登ればあとは16kmの下りでPC4に行けるし,その後はしばらくはなだらかな道。50kmも走ればローソンにいける。でもその後はまた登りが始まるし,そこまでいくとDNFしても寒風山トンネルを抜けて西条市になる。いまなら松山市に戻れる。腰の痛みはいままで感じたことがないくらいだし,寒さへの備えも十分とは言い難い。ツイッターにDNFを報告して,カイロを腹と背中に貼って着た道を戻ることにした。
PC3は143km地点,累積獲得標高は4500mで11時間経過。距離で全体の23%,登りだと1/3弱。単純計算だと50時間弱。さらに2泊の睡眠と疲労蓄積のパワーダウンを考えてもいけそうなくらいの数字。あとは腰と膝の具合の問題。四国山脈用にRディレーラーをロングゲージに変えて34Tを入れれば身体への負担は減るはず。気温が暑くもなく寒くもない時期を選びたいのだが,まさかGWでここまで気温が下がるのは予想外だった。
あと,頭の中でずーっと時間に追われていた。2年前の四国400kmやThe Peaks round4,去年の四国600kmの寝過ごし後ですら時間を削りにいこうと前向きな気持ちで走れていたのに,今回はずっと時間に追われて気が休まらなかった。今回で自分の上限を超える必要はないことがおぼろげに見えてきたので,次は気象条件次第でなんとかなるだろうと気が楽になった。遅れてはいけないと守勢に回ると途端に弱くなる豆腐メンタルが露呈してしまった。Flecheも24時間の攻防という点では攻勢というよりは守勢なので,苦手なタイプといえる。
Fleche 広島 2019 DNF
去年の3月にFlecheにお誘いいただいた。ボッチで走っていても3年になると誘われるようになるのかとちょっと感動した。
AJ広島主催のFlecheなので,松山発でしまなみ海道を通ってゴールするようにコースを引いてみるが,案外距離が足りない。いっそのこと2017年四国400kmのコースを松山観光港スタート&ゴールにして,ゴール受付にはチームリーダーひとりで行ってもらうという案も考えたが,さすがにそれはFlecheの理念に背くのではないかと思ったので,なんとかコース作成してみた。22時間目の居場所と24時間目のゴール地点の候補が意外となかった。証跡についてコンビニで3人のレジの時刻はどこまで違っていていいのだろうかとか,写真の場合は自転車3台なのか,おっさん3人なのか意外とわからない点があったが,いつものブルベとそんなに変わることないだろうで出発。
コースは松山観光港スタート,夕焼け小焼けラインから上宇和まで南下して,大洲から内子を通り国道380号,494号,439号,194号を通って西条市に抜ける。あとは今治市からしまなみ海道を通る。
メンバーは,たこぼうずさん,ガサルスさん,に私の3名。SR持ちで1000kmブルベ完走経験者。とはいってもそれぞれ平坦,登り,下り,休憩のスタイルは違う。序盤の市街地を抜けて夕焼け小焼けラインを走って,長浜の稲田菓子舗で休憩。抑え気味で走っているので,いつもと疲労感が違う。長浜大橋を抜けて,アップダウンが連続するようになると各人の違いをそれぞれの努力で埋めないといけなくなってくる。八幡浜から双岩への長く続く登りでそれが顕著になってきた。PC1のローソン西予宇和町岩木店で休憩。昼飯は内子で取るということで軽めの補給。内子のからりで昼食。休憩ばかりで大丈夫かと心配になるが,予定表通りの進行なので焦る必要はない。
小田に入ると去年の四国600kmのコースを逆走することになるが,去年の記憶が全く無い。交通量は少なく道がきれいで走りやすい。ただし登っている。結構長い登りのあとは美川への下り。なんとか道の駅美川の営業時間中にはたどり着けた。パック入いちごとアイス食って休憩。ただし,ゴミは持ち帰りなのでバックポケットに詰め込んでおく。もう一度登ってトンネルの中の県境を越えると下り区間。ブラインドコーナーが多く,神経使うしブレーキかける箇所が多い。途中で雨というほどでもないが,ポツポツ降ってきたが,雨雲レーダーには映っていないので大したことにはならないだろう。下り終わると国道439号線へ。一旦登り返して,下りきって道の駅633美の里で休憩。
あとは道の駅木の香への登り。雨は降っていないが路面はすっかり濡れているので,ここらへんは結構降った後のようだ。真っ暗で周りが見えないのでどこらへんを走っているのかわからない。焦る必要はないのでのんびりと走る。登りきったところで真っ白な霧。コーナーの反射板と路面の白線を頼りに走る。PC3の道の駅木の香に到着。温泉は営業終了で入れない。ホットココアが欲しかったのだが,アイスココアしかない。
寒風山トンネルは寒いだろうと予想して防風防寒ジャケットを着込んで入ると,予想通り寒かった。20km近い長い下りが終わって,加茂川のファミマに到着。弁当の在庫が乏しくて残念だったので,壬生川のすき家に向かう。ちょっとしたアップダウンが混じる平坦基調,しかも信号が混じるので,信号待ちで千切れた。止まった後の再始動直後がどうも足が回らない。ギア入れて信号待ちでなんとか追いつく。すき家でカレー。ガサルスさんが左膝を痛そうにしている。だましだまし走っているようだ。今治市に入るとますます痛そう。今治市内ならネカフェもホテルもあるし松山に帰りやすい。たこぼうずさんとここで止めようと話し合って,ガサルスさんを止めた。
単独で走るならマイペースで行けるが,チームで走るとどうしてもひとに合わせようと無理してしまう。登りはもちろんだが,下りでもついていこうと無理してしまう。今回のルートは登りが多すぎて,下りもブラインドコーナーが多すぎた。これはルート原案の私の責任。やはり去年の四国400kmをベースにすべきだった。
DNFした後松山観光港に戻ってから帰宅したが,帰宅直後に猛烈な眠気に襲われた。ちょうど22時間目。24時間走り続けることがほとんどないので,明け方をどう凌ぐかは課題として残った。